「忘れられない言葉」

2005.06.01
小松 浩子
  • 2005/06
  • 看護師:小松 浩子
1991年に東北のある町の泌尿器科医院に尿失禁クリニックの看板がかかった。

当時、このまちでは、「泌尿器科にいってくる」といって家をあけるのは、女性にとって、なんとなくはばかられることでした。いまも、その状況に大きな差はないかもしれません。

「あきらめないで尿もれを!」を合言葉に、尿失禁ケアを専門に提供できるクリニックの扉をあけようと奮闘していた一人の看護師の思いに、耳を傾けてくれた院長はいまもよき理解で、膀胱炎や血尿で受診する女性に上手に話を聞きだし、尿もれがあることがわかると、私(尿失禁ケア・アドバイザー)へと橋渡しをしてくれる。

15年目を迎えようとしている尿失禁クリニックの待合室では、尿失禁予防・改善のための体操がビデオから流れ、熱心にそれに見入っている人、顔見知りになった人と尿もれの大変さを分かち合い互いを慰めあっている人たちでにぎわっています。その多くは、子育てを終え、ほっとする暇もなく、夫や年老いた親の看病に忙しい女性の方々です。クリニックでは、尿もれからすっきりと解放されるために、女性ひとりひとりの生きた知恵が総動員されます。アドバイザーの私は、それを一生懸命応援しつつ、いつの間にか、逆に励まされ、勇気付けられる自分を発見する今日この頃です。

「お舅さんとお姑さんを見送って、ようやくたたいた泌尿器科の扉です」と腰掛けながら話してくれたHさん。何年にも及ぶ昼夜を問わない介護は、膀胱炎のくり返しから慢性膀胱炎とつながり、がまんの効かない切迫性尿失禁をもたらしていました。そして、心のひだには、それまで呑み込んできたとげのある言葉が沢山積み重なっていて、それも、膀胱のはたらきを神経質にし、おしっこを近くしている原因の一つのようでした。

クリニックでは、膀胱のはたらきの悪循環を薬で交通整理したり、生活全般の見直しをしながら、こどものころに備わった排尿のリズムをもう一度取り戻すための、行動療法が試みられます。そして、忘れてならないのは、心のひだに突き刺さっているとげを一つずつ自分で取り去っていくこと。夫も義理の姉も、夜の介護は換わってくれなかったこと。病院のトイレで脂汗をかきながらしぼるように出てきた血尿。辛さがよみがえる一方で、今できることに視線を移すことも大切になります。少し自由になった時間の中で、ゆっくりとお風呂に入ったり、履き心地のよい毛糸のパンツで身体と心をあたためること。こうした、細やかな自分へのケアとともに、排尿のリズムが戻ってきました。

身体の澱みは、人生のさまざまな澱みも抱えていることを、Hさんと一緒に気づくとき、「大変だったね。本当にお疲れさま」という言葉が口をついて出てきました。

まだ、Hさんの尿もれはすっきりと治ったわけではありませんが、尿もれパッドを持参して、温泉旅行にいくと話してくれました。「温泉に入いるとき、このパッドを見られたら、こんなに便利なものがあるから何処にでもいけるのよって、いえばいいよね。みんなも本当は困っているかもしれないもの・・・」と晴れ晴れとした言葉が聞かれました。今日のクリニックへの出で立ちは、さらさらのブラウスに柔らかい綺麗なスカーフ。「とてもお似合いですね」というと、「お下はパッドで武装しているけど、まんざら捨てたものでもないでしょ」と耳を紅くしておっしゃったHさんの言葉が忘れられない。温泉にのんびりつかりこれからのことに思いを馳せるHさんのたおやかな背中が目に浮かんできて、東京への岐路の電車の中で、居心地のよい自分を感じています。

●研究ページ
・がん集学的アプローチのためのケア提供システムの開発

看護コミュニティ

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