看護師の感情

2007.10.20
奥 裕美
  • 2007/10
  • 聖路加看護大学
  • 看護師:奥 裕美

先月終了した、臨床実習中、担当する学生の一人に、「受け持ち患者さんと会話する中で、自分の無力さや、やるせなさに耐え切れなくなって、涙が出そうになったけれど、どうやったら自分の気持ちをコントロールできるのか。」という相談を受けた。彼女は辛い状況にある患者さんを、少しでも元気付けて支援するのが看護学生としての自分の役割だと思っていたのに、一緒になって泣いてしまいそうになったことを反省していたのである。

彼女の質問をうけて私は、外科病棟の看護師として働いていた7年の間に2度(これは多いのか、少ないのか、平均的なのか...)、患者さんやそのご家族の前で泣いた(涙ぐむのではなく)経験を思い出した。

一度目は、看護師として働きだして2年目のことである。A氏はまだ若く、健康であればバリバリ仕事をしている年齢だったが、命の終わりはもう目の前にあった。それでもすべてを受け入れて、穏やかに過ごしているように見えた。(少なくとも私にはそう見えていた。) そんなA氏がある日、私がいつものようにバイタルサインズを計るために部屋に入ると突然、「僕は死にたくないんだ!どうにかしてくれ!」と言って泣き始めたのである。
私は「いい大人」の男性が、ぼろぼろと涙を流す姿をそれまで見たことが無く、また、いつもの穏やかさとは一変して、嗚咽を漏らしながら男泣きをしているA氏の姿に、返す言葉もなく、気がついたらその場で一緒に泣いていたのである。 どうやってその場の収拾をつけたのかもわからないが、部屋を出る私のことをA氏が泣き笑いのぐちゃぐちゃの顔で見ていたことを覚えている。

二度目は、何度も入退院を繰り返し、長年知っていたB氏が亡くなった時の出来事である。記憶があいまいだが私は3年目か4年目だった。B氏は私の夜勤勤務が終了した直後、亡くなった。私はB氏のそれまでの経過と壮絶な最期の数週間を思い出し、涙が止まらなくなってしまった。(夜勤明けで、気持ちも緩んでいたと思う。)
死後の処置を終えたB氏に最後のご挨拶をするために訪室すると、部屋にいたB氏の奥様が、私にB氏の思い出の品をそっと、下さった。再び感極まった私は、さらに涙が止まらなくなってしまった。すると次の瞬間、奥様はいきなり「きりり」と表情を引き締め、私の背中を強くバシンとたたき、こうおっしゃった。「あなたはプロでしょう!いつまでも泣いてちゃだめでしょう!」

看護師をはじめ医療者が、患者やその周りの人たちに自分の気持ちをさらけ出すことに関しては、賛否両論あるとは思う。また、状況によりけりであり、画一的な判断をすることは難しい。ただ、それを承知の上で思うのは、ひたすらに感情を押し殺すだけが、プロフェッショナルとしてのあり方なのではなく、時に人間臭く自分の感情を正直に相手に伝えることも大切なのではないか、ということである。

感情を伝えることと感情的になることは違う。(過去の私は、どちらかと言うと感情的だったと、今なら冷静に考えられる。)しかし、冷静に感情を伝えることができるようになるためには、相手の気持ちを慮る感受性やその状況を落ち着いた心で判断する能力が必要であり、それを培うためには看護師として、そして人としての経験を積み重ねることも必要なのだと思う。

冒頭の学生の質問に、私はこうした考えを伝えた上で、「それでよかったんだと思うよ。」と答えた。その瞬間、スッと引き締まった彼女の表情に、感受性の豊かなふんわりした心に、なにか変化が起きた瞬間を垣間見た気がした。

臨床の看護師もよいけれど、教員もよいものだと感じられる体験であった。また感動して泣きそうになった。

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