重症心身障害児施設で学んだこと

2009.04.20
  • 2009/04
  • 看護師:眞鍋 裕紀子

私はこの大学に来るまでは、身体的、知的に重い障害を持つ子ども達と関っていた。子ども達とかかわり始めて10年。その後も障害を持つ子ども達は、私にとって離れられない存在となった。

看護大学を卒業して就職した時には、小児看護に携わりたい、と願ってはいたが、障害児とは夢にも思っていなかった。
同期の友達は、少なくとも第3希望までの配属先であった中、私の配属先は第5希望にも入っていない重症心身障害児施設であった。後から聞いた話だが、私は卒業論文のテーマに、学生時代のボランティアからのつながりもあり障害児とその家族に関することを選んでいたので、そのことが影響していたらしい。
なぜ重症心身障害児施設に?という思いと、やはりそうか、と言う思いも混在していた。
配属先が決まってから、それぞれの場所へ挨拶に行った時、とにかく明るい、活気に満ちた場所だった。プレールームでスタッフ達が子ども達を抱き上げていたり、膝に乗せていたりして、スタッフの笑顔が飛び込んできた。
そして子ども達は、スタッフに支えられてこちらを向き、きょとんとした表情や、満面の笑顔で迎えてくれた。しかし同時に子ども達の姿を目の前にして、自分に続けることが出来るのだろうか、言葉を話せない子ども達とどのようにかかわれば良いのか、と不安と恐怖が混ざったような気持ちになっていた。

しかし、いやおうにも日々の仕事を覚え、子ども達の事を勉強して、子ども達とかかわっているうちに、自分の気持ちが変化していくことに気付いた。
子ども達の何物にも変えられない目の輝き、心の純粋さ。
この子ども達にかかわっていられる自分に感謝するようになっていった。
子ども達の障害はとても重く、ちょっとした風邪が重症になり、命取りになることもある。

また、私達が思うちょっとした環境の変化、ちょっとした遠出が、子ども達にとっては重労働になる。子ども達の健康状態はあまり変わらないように見えているが、重症でぎりぎりの状態で過ごしていると言っても過言ではない。
保育に積極的に参加していた子どもが、その日の夜に急変してその日のうちに亡くなった、ということも何度かあった。なぜこの小さな子ども達ばかりが、日々痛みや苦しみを受けていて、それほど人生の楽しみを味わわないうちに終わらなければいけないのか、私はそんな中で何をしているのか、と看護がいやになることが何度あったことか。そんな時、ある人が語った言葉を忘れない。「子ども達の姿を見てごらん。
いつも寝たきり、と言うかもしれないけど天使の姿と一番似ているのでは?あの子達は一番天使に近い存在。あの子ども達は使命を持ってきた子ども達で、徳のある命をもった子ども達。
だからこの世でその使命を果たして、さらに命を輝かしていくんだよ。」私が、落ち込みながらも気持ちを切り替えて(いたつもりだが)子ども達の所へ行くと、いつも私の気持ちを読み取ったのか、私を励ますように、思いやるようにじっと見る子ども達。その子ども達に日々支えられてきた。本当に純粋で一番わかっている、と言う言葉が最もふさわしい子ども達であると思う。

すぐに重症化してしまう、命の危険性を常に持っている子ども達。
しかし子ども達は日々大切な命を生きているのである。
ちょっとした一瞬先の子ども達の命がわからないだけに、その一瞬の時間を大切にしなければならない。その子ども達の一瞬一瞬の命を輝かせていくために私は何を出来るのだろうか。
少なくても、その子ども達と出会えたこと、子ども達から学んだこと、を1人でも多くの人々に伝えていくことが出来たら、と思っている。

看護コミュニティ

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