最期の大切な時間

2010.02.20
小野若菜子
  • 2010/02
  • 看護師、保健師:小野若菜子

高校3年生の夏休み、その日、外来受診をしているはずの父から電話がかかってきました。「このまま入院することになっちゃったよ。」と父。私は急いで入院の支度をして、病院に駆けつけました。先に、病院の食堂で一緒に食事をして、そのまま父は入院になりました。それが父と一緒にした最後の食事です。その後、もう家に帰ることはなく、腹水を抜いても貯まることを繰り返しながら、2ヶ月後、亡くなりました。父の最期の大切な時間、それは病院での生活になりました。私は父の死後、体中の力が抜けるほど無気力になってしまいました。友人たちが進路に向かって勉強している時に、自分がどうしたいのかわからなくなってしまいました。

そんな時、ふと思い浮かんだのが父を看護してくれた看護師さんの姿です。夜中、父が朦朧として、点滴を抜き、シーツがびしょぬれになってしまった時のことです。母と一緒にオロオロし、不安で一杯の中、ナースコールを押しました。看護師さんは、てきぱきときれいにベッドを整えてくれ、死が近づき、呼吸が荒くなっていた父も、つかの間、気持ちがよさそうに見えました。私は、「看護師さんは最期までそばにいてくれる」と感じ、死を待つ冷たい時間の中で、暖かい安心感を抱きました。看護師さんは多くを語らずとも、病室に来る間、死の悲しみを共有してくれました。私は、「看護っていいな。父に何もしてあげられなかった自分でも、何かできるようになるかもしれない。」そう思って看護の道に進むことにしました。

看護師1年目、病棟勤務を始め、Sさんという70代くらいの女性に出会いました。がんの末期で入院していましたが、腹水が貯まる他は症状がなく、病室をいつもきれいに整え、静かに療養生活を送っていました。言葉数の少ない穏やかな方で、スタッフにも何かを訴えてくることはありませんでした。病院での生活、それがSさんの最期の大切な時間になりました。ある時、急に病状が悪化し、救急蘇生することになりました。心臓マッサージ、点滴を入れて、バタバタ動くスタッフの中で、Sさんの体はどんどん冷たくなっていく・・・家族が来るまでの長く感じられる時間でした。Sさん、どんな気持ちだったのでしょう。私は、「Sさんともっと話をすればよかった。言葉数が少ないからこそ、もっと話しかければよかった。」と悔やみました。「Sさん、最期の大切な時間、何かしたいことはありましたか?どうでしたか?」。もう、Sさんの本当の思いを知ることはできない、それが私の心残りです。

人にとって、最期の大切な時間がいつなのか、それは生きている間にはわからない、死が訪れてみて始めてわかることかもしれません。最期の大切な時間をどう過ごすか?いよいよ最期になった時、家で暮らすことは容易ではないでしょう。でも、もし、「もう一度、家に帰りたい。家に居たい。」という人がいたら、その暮らしを支援したい。そう思って、訪問看護の仕事を選びました。

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