救命救急センターに勤務して

織田 瑛子
  • 2011/02
  • 看護師:織田 瑛子

看護師になってもうすぐ2年が経とうとしています。今私は都内の高度救命救急センターで働いています。2年とはあっという間ですが、毎日が濃密で学ぶこと、考えることが多く日々がむしゃらに生きているかんじです。その中で、今回はこの2年間私が感じたことを書きたいと思います。

救命センターのICUにいる患者さんは意識がない人や日常生活行動も介助を要する人がたくさんいます。寝返りや歯磨き、清潔ケアに至るまで全て看護師が行うことがよくあります。そのような患者さんの中には病気がよくなって一般病棟や他のリハビリ病院に移動していく人もいれば、なかなか病気がよくならずお亡くなりになる方もいらっしゃいます。

疾患にもよりますが、救命センターにいると元気に社会復帰をしていく患者さんの姿を見届けるということがあまりないように感じます。
集中治療を要さなくなってICUから出る患者さんを見送ることはよくありますが、社会に戻るというところまで携わることはほとんどありません。しかし、私は熱傷で運ばれてきたある一人の患者さんの入院から退院までの全過程に携わらせていただくことができました。
私の病棟では基本的に受け持つ患者さんは毎日変わります。しかし、熱傷のような経過が長い疾患の患者さんや特に個別的な看護が必要な患者さんに対してはプライマリーナーシングという特定の看護師数人が入院から退院まで一貫してその患者さんを受け持つ看護体制をとります。
私がプライマリーをさせていただいた患者さんは全身の重度の熱傷の方でした。
最初は受け持った時は呼吸を助けるために気管にチューブが挿入されていて、熱傷部分は包帯やガーゼで覆われておりどのような人か想像することさえできない姿でした。
連日の包帯交換で創部の処置を行ったり、熱傷の深度が深い部分には皮膚を移植したり様々な治療をしていきました。
入院して約2週間後に気管に入っていたチューブが抜けるまでは鎮静剤を投与していたので、多少の意思疎通しか図れませんでした。そのため、チューブが抜けて初めてその患者さんと会話したとき、ご飯を食べた時、歩行したときなど全てが私には感動でした。
もちろん処置や治療は続きますが、その患者さんは積極的にリハビリに励んでいたため、私たちもその努力に応えるため協力していきました。
また、プライマリーで何度も同じ患者さんに関わっていたため、患者さんも私の名前を覚えてくれます。「織田さん、今日もよろしく。」というこの一言が嬉しいものでした。
普段は毎日受け持ちが違うため患者さんと密には関わりにくくこのような関係性を築くことが困難です。そのため、名前で呼んでいただけるということはとても嬉しく思えたのです。また、密に接する中で徐々に患者さんの生活リズムや患者さんに必要なことも分かることができました。
最初は重症で話すことさえできなかった患者さんと一緒に会話をしたり散歩したり、回復の過程を身近で見ることができた、ということは私の中でとても大きな経験となりました。
実習以来やったことがなかった退院指導も長い経過を見てきたからこそよりその人の日常生活の状況にあった個別的な指導を行うことができたのだと思います。
退院の日、私は看護師になって初めて元気に退院し社会へ戻っていく人を見送りました。
元気に自分の足で歩いて帰る患者さんの姿を見ていると、看護師になってよかったと思えた気がしました。

救命センターには日々いろんな患者さんが運ばれてきます。これからどんな患者さんに出会っていくのか分かりません。
今回の経験で感じたことは私が看護師になろうと思ったときや、学生の時に考えていた看護でした。どんな患者さんに出会っても今回の思いを忘れずに看護師として働いていきたいと思っています。

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