周囲の言葉に導かれて

飯田 真理子
  • 2012/08
  • 助産師:飯田 真理子

「看護婦さんはどう?」小学校低学年の頃、日常の何気ない会話の中で母が私に言った。その一言が今の私へと続いている。どうやら母は私に手に職を付けさせたかったらしい、というのはずっと後になってから聞いた。
「看護を学ぶなら聖路加でしょ。」高校生の時、やはり母が私に教えてくれた。そして聖路加なら学費が高くても出してくれると言ってくれた。数学が大の苦手だった私だが、ラッキーなことに聖路加は受験科目に数学がなかった。そのおかげで無事に合格した。
「取れるなら助産師の資格も取ったら?」大学3年生の時、やっぱり母が私に言った。さすがに私もそう簡単に助産師の資格までは取れないだろうと思った。が、家族発達看護の授業と実習が一番楽しく思えた私は助産課程を取ることを決めた。こうして寝られない日々が始まった。
「ベストを尽くせばいいんだよ。」課題や演習についていくのが精一杯で、ついに弱音を吐いた私に母が言った。少しだけ肩の荷が下りた気がした。そして国家試験を無事に合格した私は晴れて助産師となった。
「行ってきなさい。」助産師として働き出したものの、就職先がハイリスクの母子を扱う施設だったため、分からないことだらけで戸惑い、朝食を食べながら行きたくないと沈む私に母が言った。そんなやり取りをする毎日がしばらく続いた。助産師として成長したのか、人間として図太くなったのか、気が付いたら5年の月日が過ぎていた。
「タイミングが合えば、流れに乗るのもいいよ。」今度は母ではなく、病棟の師長さんが言ってくれた。働いていた病院に保健医療学部を新設する計画があり、私に教員の道を勧めてくれた。「流れには抵抗せず、それに乗った方がけがをしない」という母の言葉を聞いて育った私は、師長さんからのオファーを喜んで受けた。そういえば私は小さい頃、学校の先生か看護師になりたいと思っていた。
「進学を考えてみては?」大学の教員として働き出した私に、学部生の時からお世話になっていた先生が修士課程への進学を考えるよう言った。やっぱりそうか、なんとなく進学の必要性を考えていた私は、また聖路加で学ぶことになった。こうしてまた寝られない日々が始まった。でも夜勤を5年間経験していたせいか、真夜中2時3時に起きていることに抵抗はなかった。でも慢性的な寝不足の生活はきつかった。
「将来大学教育に携わるならば、博士課程への進学を考えてみては?」やっぱりそうか、指導教授の言葉に背中を押され、聖路加であと3年学ぶことを決めた。まさか自分が博士課程に進学するとは、学部生の頃は夢にも思わなかった。寝不足の毎日や課題や締め切りに追われる生活にはもう慣れてしまっていた。大学院の5年間で自分の容量が少し大きくなった気がした。

先日ある助産師が話していた、「人のために頑張りなさい」と。
自分のために頑張るのはつらい時もあるけど、人のためにだったら頑張れるかも。周囲の言葉に導かれ、流れに乗り、気が付けば聖路加で教員として働いている私だが、流れに乗ったのは自分の意思である。いい加減な気持ちではなく、助産師という仕事に誇りを持ち、日々の努力を怠らず、人のために頑張りたいと思う。

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