「素敵なオトナ」な大学の先生たち

目黒斉実
  • 2016/09
  • 看護師・保健師:目黒斉実

 この春から母校で教員になり「先生」などと呼ばれるようになったわけですが、よくよく振り返ってみると、わたしは「学校の先生」という存在がどう贔屓目にみてもあまり好きではなかったのです。

 小学生の頃は、先生に懐いてたわむれるのは苦手でそんな同級生を遠巻きに見ているタイプでしたし、中学生の頃は管理主義を突き進む教師など大大大嫌いでした。高校は自由な校風だったこともありマイナスの感情はなくなりましたが、しかし特に興味もなく、とりわけ影響を受けたという覚えもありません。

 そんなわたしですが、大学の先生方だけは唯一、学生の当時から「素敵なオトナ」だなあと敬愛の念を抱いていました。そもそも入学試験の時に試験官をしていらした先生が、きれいなかたちのワンピースに、ヒールの靴を履いて、少し色の入った眼鏡をかけて、美しく姿勢よく立ち、試験の説明をしてくださったのを見て、ああこんな素敵な先生のいる大学に入りたいなあと思ったのをよく覚えています。

 また入学してすぐ「この中で看護師になりたい方はいますか?」とたずねた先生がいらっしゃいました。看護師になるためにこの大学に入学したという気持ちでしたので、わたしだけでなく皆きょとんとしながら手を上げましたが、そこでその先生は「看護師にならなくても結構ですよ。ここは看護学を学ぶ大学です」とおっしゃったのでした。わたしは、そうかなるほどなと、いたく感銘を受けたものです。他にも「お勉強はもちろんですが、みなさんぜひ恋をしてください」と言われた先生もいらっしゃいましたし、今でも心に残っている言葉が数多くあります。

 わたしは謙遜抜きで出来の悪い学生だったのですが、先生方はやさしかったですし、いつも必ず良いフィードバックをくださいました。先生方もわたしをひとりの大人として扱っていてくれていたことが、今ではよくわかります。

 こうした先生方に対する印象や、その時感じたこと、記憶に残る言葉などは、直接何かの答えになることではないかもしれません。けれども、看護の道を選び進んでいる最も身近な先輩として、学生の自分が受ける影響は大きかったと思いますし、今も看護に対する自分の捉え方や在り方を熟成させてくれる糧になっていると感じます。

 看護師というのは人間が人間を相手にする上で、個々の人間性を無視することは出来ない、その人そのものが問われてくる職業であると思います。知識や技術だけでなく、それぞれの"感じる心"や"考える頭"の土壌を豊かに育むことが必要だと、これまでの臨床経験からも常々感じてきました。そしてこうした土壌づくりの基盤は、看護を学び始めた時から作られていくと思っていますし、学生の時に先生方から直接的に、間接的に、伝えていただいたのだと思います。

 さて今度は自分が「先生」になったわけですが、どうなることでしょうか。「素敵なオトナ」にはほど遠くまだまだ修行の足りないわたしですが、豊かな土壌づくりのために、種まきか、水まきか、何かができればいいなと思っています。

看護コミュニティ

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