「伝える」ということ

岡 美雪
  • 2018/09
  • 助産師:岡 美雪
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ひとりの人間がもう一方の相手に何かを「伝える」ということは、日常で繰り返されていることです。この「伝える」という作業には、様々な形や方法があって、受け取る側にも様々な状況や受け取り方があります。人の温かさが伝わると自分の心が温かくなったり、反対に伝わらないと悲しい気持ちになったりと、人と人をつなぐ大切な要素です。
今年の4月から大学で教員となり「看護」という奥深い複雑なアートを学生に「伝える」という責任と難しさを感じる日々です。

看護を伝えるということで思い出すエピソードがあります。
私が東アフリカのタンザニアの看護学校の教員として活動していたときのことです。そこは、キリマンジャロの麓の小さな田舎町にある2年制の看護師・助産師養成学校でした。
私は看護学生が臨地実習で学ぶ場に付き添い看護ケアの指導をしていました。その中で陣痛室でのケアについて私は悩みました。お産のために入院した産婦さんへのケアは、入院時に血圧を測定し、トラウベで胎児の心音を確認し、診察で分娩の進み具合を確認した後は、お産が近づくまで遠くで見守るというケアでした。お産が近づき陣痛がどんどん強くなり、体に自然と力が入り、痛みで唸る産婦さんへ、助産師はベッドから離れた位置から「呼吸止めないで!呼吸して!」と声をかけるのみでした。それを見ている学生もまた同じように声を掛けていました。そのような状況を見る度に、私は学生に陣痛の痛みを緩和するための腰のマッサージを説明して一緒に実施していました。それでも、助産師にマッサージなどやらなくていい、そんなことをしても意味がないと笑われ、学生も本当に効果があるのか実感がないなどの理由でケアとして定着しないという状況が数か月続きました。

ある日、陣痛が始まって入院した初産婦さんが痛がる腰を私がマッサージしていたのですが、他の用事でその場を離れたことがありました。数分後、陣痛室から学生が大声で私の名前を呼ぶ声が聞こえました。行ってみると、学生は見よう見まねで産婦さんの腰をマッサージしながら「(産婦さんが)腰をマッサージして欲しいって言うんだけど、どうすればいいの?」と、切羽詰まった表情で聞いてきました。
私ははっとしました。学生が自ら産婦さんにマッサージをしているところを見たのはその時が初めてでした。私は今まで躍起になって伝えようとしていたけれど、どこかで伝わらないのは文化や環境の違いのせいだとあきらめていた自分に気がつきました。産婦さんか声をあげてマッサージをしてほしいと伝えてくれたことで、学生は目の前の問題に対応するために行動に出ることができたのです。ここで学生が行動に出るのに必要だったのは、実際の産婦さんからのフィードバックでした。学生が目の前の痛がっている産婦さんにできることがあるという喜びは、これからの自信にもつながったのではないかと思います。私はあの時、学生が困惑しながらも生き生きとした表情をしていたことを忘れることができません。

そのことがきっかけで、恩師の「看護の[看]という字は手を使って目で見るということです。手を差し伸べること、手で触れることで伝える伝わること、またそこから見えることを大切に。」という言葉を思い出しました。
これは、恩師の言葉が私にまた一段深い位置で伝わった瞬間でもありました。恩師の意図はより深い位置を意味しているのかもしれませんが、これはこれからの自分の成長とともに見えるものなのかもしれません。「伝える」ということは幾重もの層になっていて、ある瞬間あるきっかけで、それぞれの中に時間をかけて積み上げられていくものなのかもしれません。

私は、タンザニアの看護学生に何かを伝えられたのだろうかと考えることがあります。あの時の看護学生たちは、今たくましく立派な看護師として働いていて、私がタンザニアを訪問する度に元気な彼女たちに会い胸が熱くなります。私が何かを伝えられたのかどうかの答えは今後も出ないかもしれないけれど、長い目で見て彼女たちのこれからの姿が何かを伝えてくれるかもしれないと思っています。

看護コミュニティ

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