災害時もへこたれず子どもに希望を与えられる存在でいられたら

2021.03.01
田中 加苗
  • 2021/03
  • 看護師:田中 加苗

今年の1月17日、兵庫県神戸市の東遊園地で開催された「阪神・淡路大震災1.17のつどい」では、『がんばろう 1.17』の文字が竹と紙の灯籠で作られました。26年前の大震災で得た教訓を噛みしめ、失ったもの、亡くなった方を悼むための場ですが、多くの自然災害だけでなくパンデミックで疲弊した私たちを「それでもやっぱりがんばるしかない」と励ましてくれるようにも感じます。

震災の日、私は10歳でした。地鳴りのあとの家全体が回転するような大きな揺れを今でも覚えています。当時は多くの看護職の方たちが、被災した人々やコミュニティの助けになろうと奔走しました。そして災害で困難に陥る人々への看護を体系的に追究しなければという問題意識が生まれ、災害看護学という新たな専門領域ができました。災害前から災害の何十年後まで、子どもから高齢者まで、病院にいる人から地域に住む人々まで、あらゆる時間、世代、場所の災害に関連する健康課題が対象です。

私はこの災害看護学が専門で、阪神・淡路大震災を小学校高学年で経験した人たちにこれまでの人生を語っていただき、どのように生きてこられたのかを調査しています。多くの方が、「いままで特に誰とも話してこなかったけど」「私でいいのかな」と言いながら、「誰かの役に立つなら」とご自分の経験について惜しみなく語ってくださいます。震災のせいで体調を崩したりひどく落ち込んだりという明らかな不調は無かった人たちなのですが、それでもそれぞれに人には言えない困難があり、もやもやした心のしこりを残していることが調査によってわかりました。
調査でお会いする回数を重ねると、こんなこともあった、あんなこともあったと埋もれていた記憶を一緒に掘り起こしていくことができ、またその経験はいま思えばどういう意味があったんだろうかということまで話すことができます。そしてその発見によってご自分の人生をより前向きに捉えていただけるようになったりもします。震災後、一人で何となくやり過ごしていたことも、大人になって他人と一緒に整理すると光を帯びることがあるのだなと強く感じる瞬間です。同時に、なぜいままで誰もこの人たちの話を聞いてこなかったのだろうか、という疑問もわいてきてしまいます。

お話しを聞いていて印象的なのは、高学年ともなると子どもは災害時の大人の言動をよく見ていて、そしてよく覚えているということです。生き埋めになっている人を大声で探しご近所中で助け出そうとしていた場面、残り少ない食料を大人に分けてもらった場面、避難所でボランティアが一緒に遊んでくれた場面、その一つ一つが子どもにとっては印象深く、有難く、尊い経験となります。大人が声を掛け合い、助け合っている様子を見て「自分も大人になったら同じようにするぞ」と脳裏に焼き付け、その思いを26年たっても持ち続けています。
子どもが被災後も健康に生きていくために、大人が子どもを助け、大人同士が助け合い、大人が子どもに希望を与え続けることが災害時には大事なのだと教えられます。パンデミック災害真っ只中、東日本大震災から10年の現在も、大人として子どもに希望を与えられる存在でいられたらと思います。

看護コミュニティ

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