看護界にある「普通」を問い直す

2021.07.01
皆川 愛
  • 2021/07
  • 看護師:皆川 愛

「キャリアはラダーではなく、ジャングルジムだ」
minakawa1.png  2015年の卒業式にて、当時の井部学長からいただいた言葉です。当時の私は、私が思い描く普通の看護師を目指して就職活動をしたのですが、就職先が決まらず、そのまま大学院進学を決めたものの、先が見えずに看護師としてのキャリアを諦めかけていました。

minakawa2.png みなさんは、「ろう者」という言葉を聞いてどのようなことを思い浮かべますか。私は、ろう者の両親のもとに生まれ、日本手話を母語として習得し、手話を第一言語とするろう者です(手話映像は文末にあります)。

 大学受験時、様々な大学から「聞こえない」というだけで、門前払いされました。そのような中で、聖路加国際大学(当時聖路加看護大学)は、私の看護師としての可能性にかけて、入学を受け入れてくださいました。故・日野原理事長や教職員の理解によって、パソコンテイクや手話通訳などの情報保障を整え、最善の学びの環境を提供していただいた結果、無事に看護師としての一歩を歩むことができました。

 卒業後は、大学院で勉強する傍ら、特別養護老人ホーム(特養)で看護師の仕事や、健康情報の手話翻訳など、ろう者に関わる、手話で仕事する機会を得るようになりました。その特養は入居者のほとんどがろう者です。手術や抗がん剤などの急性期医療が必要なために入院する者もいました。そこで、ろう者と聴者の間での理解やコミュニケーションのズレを多々目の当たりにしました。

 「明日からは自分でトイレに行っていいですよ。」と書かれた紙を読んだろう者。手話で話す時は時系列に話すのが一般的です。明日のことを話す前に、まず今日はどうするのかを明らかにします。一見して簡素な文章に見えますが、文脈を考慮しないと、相手には伝わりません。そのろう者は、易感染状態の中、今日はトイレに行ってはいけないと捉え、膀胱炎になってしまいました。

 また、点滴に繋がれ、モニターを装用され、両手腕が動かないろう者。手話や筆談を主に用いて話をするろう者にとって、両手腕が使えないことは、話す権利を奪われることになります。

 なぜこのようなことが起きるのでしょうか。文化が違えば、同じ行動や動作であっても別の意味に解釈されます。聴者文化というものは形式的に存在しませんが、多くの文化は、健常者の身体を前提としており、そのなかで、人は無意識のうちにルールや期待を取り込んでいきます。

 音声中心の医療環境の中で、ろう者は言語のみならず、聴者を中心に構成された病院や医療の暗黙のルールに戸惑いを覚え、ストレス状態で過ごさなければならなくなります。このストレス状態は、病院療養の目的である回復を阻害します。

minakawa3.png ろう者のことは、単に耳が聞こえないと一概に言えないのです。ろう者の言語である手話はもちろん、ろう文化の文脈の中で生活する彼らにはろう者としての行動様式や価値があるということを念頭に対応しなければなりません。そして、看護にあたっては、ろう者の文化に相応するケアが必須となります。例えば、前職の特養では意識のアセスメントにジャパン・コーマ・スケールを用いていました。10ある項目のうち、「普通の呼びかけで開眼する」というものがあります。では、ろう者にとって「普通の呼びかけ」とは、どのようなものでしょうか。普通というのも、一人ひとりの中にそれぞれの物差しがあるのだと思います。自分がもつ物差しでなく、相手の物差しを知り、それにあった看護を提供することの重要性を知りました。

 

minakawa4.jpg 日本財団聴覚障害者海外奨学金を得て、米国のろう・難聴者のためのリベラルアーツに根ざしたギャローデット大学大学院ろう者学修士課程を修了し、現在は同大学にあるろう健康公平センター(Center for Deaf Health Equity)で研究員をしています。当センターの目的は、ろうコミュニティにおける健康格差の是正です。ろう者の健康については、聴者集団(一般住民)との比較調査によって、健康状態が不良であり、その理由を「聴覚障害」が当然かのように帰結されてきました。実際にろう者も背景や経験は多様であり、その健康状態は一概には言えません。そこで、当センターは、ろう者を取り巻く様々な健康社会決定要因に着目しています。これまでの研究から、LGBTQ当事者であるろう女性のがん検診の受診率が低い、また幼少期に家庭で音声による会話から取り残された経験をしばしばしてきたろう者のうつ病発症率が高いなど、さまざまな要因があることがわかってきました。

 このように、聴者を中心点とした物差しに従うのではなく、クリティカルに捉え、多様な物差しの存在を知ることが重要なのだと、聖路加で学んできたことが間違っていなかったのだと気づきました。「キャリアはラダーではなく、ジャングルジムだ」、まさに看護とは、多様な患者の視点に気づき、最適な看護を考えることに本質があるのだと思います。そして、そこにたどり着くための道は一本ではないということです。

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