「やりがい」「専門性」で終わってはいけない

堀 成美
  • 2010/01
  • 看護師:堀 成美

私が感染症を専門にしようと決めたのは看護学生のときです。看護短大に入りなおす前に留学していたタイで政府の発表するHIV感染者が激増していたこと、日本の医療や看護がHIV陽性患者の診療拒否をするという報道が相次いでいたこともあり、卒業後はHIV感染症に関わる仕事ができたら・・と漠然と考えていました。

「感染症は全身疾患だから、幅広く学んだほうがいい」という知り合いの医師のアドバイスのもと、卒業後の就職面談時には「早くいろいろなことをたくさん学びたい」と希望をし、幸運にも(?)その病院で一番タイヘンといわれていた混合病棟に配属となりました。その後、勉強会で知り合ったHIV診療で有名な公立病院の方に機会をいただき、感染症の外来で働くことになりました。学生時代に描いた希望の仕事、そしてこの時期は治療薬が開発・改善され、患者さんたちがどんどん健康をとりもどしていく姿を目の当たりにし、たいへんやりがいを感じる毎日でした。

しかし、そこで抱えた問題がいくつかありました。まず、HIV感染に早く気づいて専門外来に紹介されてきた患者さんは救命・健康管理ができますが、診断が遅れたために救命できない、あるいは障害が残る患者さんが今でも常に一定数います。そして初診で紹介されてくる患者さんの年齢がどんどん下がっていきます。当時、「このままだと平成生まれが来るのはすぐそこ!」という危機感がありました。おまけに生涯医療費が1億円と高額です。「病院で待っていてはいけない」「感染しないことが最大利益」と考えて、中学や高校で性の健康教育にも関わるようになりました。これは現在もライフワークとして続けています。

もうひとつの問題は、「HIV/AIDSは特別」という壁です。治療がよくなった今、古いイメージが新たに『偏見』として残っています。患者さんたちの当初からの願いは「他の病気と同じように扱ってください」でした。表立った診療拒否のような差別はなくなりましたが、「気の毒な人」「特別な支援や看護が必要な人」という古いとらえ方がケアの壁をつくっています。治療の安定しているHIV陽性の患者さんが高血圧や糖尿病、眼科や整形外科の問題で受診が必要になったとき、高齢で長期療養が必要になったとき、地域の病院・施設の存在が重要です。しかし、医療や福祉全体で皆でケアしていこうという点ではまだ課題を抱えています。患者さんが長く生きられる時代に看護も対応をしていかなければなりません。

私が米国のHIV看護の専門資格であるACRN(AIDS Certified RegisteredNurse)を取得したのは1997年です。感染者増加に伴って、看護ケアの準化が必要になると思い始め、また、日本でも専門性の確立という、(どの領域でももりあがる)話が出始めた頃でした。しかし、その制度をつくった米国のエイズ看護専門団体のリーダーたちは、この時点でこういいっていました。

「私たちの目標はこの専門組織の解散。ワクチンが開発されて、この病気の苦しみから患者さんが解放されること。HIV看護が特別ではなく、すべての保健医療においてあたりまえのようにケアされるのがゴール」。

  数年遅れではありますが、日本で必要な方向性はそこにあるように思います。看護大学では、将来のリーダーになることが期待されている学生さんたちに、個人としての予防と、HIV陽性の患者さんを何の障害もなくケアしてもらうための情報提供ができることをたいへんありがたく思っています。

看護コミュニティ

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