母と私と看護

2010.03.20
山田 祐子
  • 2010/03
  • 看護師:山田 祐子

母は私の良き理解者だ。今だからこう言えるが、母と私は性格がよく似ており、自分を見ているようでイライラして高校時代は本当によくけんかした。リビングで取っ組み合い、相撲さながらの事態になったときにはさすがに父や姉も呆れていた。よくけんかはしたが、看護師として働く母のことは尊敬していた。

小学生のときに学校で頭を怪我したことがあった。それまでに経験したことのない出血に、私は気が動転した。保健室の先生に連れられ、母の務める病院で診察を受けた。その日、外来担当だった母は私の問診を担当した。母の見たことのない表情から、「何だか分からないけどかっこいい」と看護師に憧れた。家での母はいつも勉強していた。新しい機械が入ってくる、新しい手術が始まる、勉強会で発表することになったなど、夕食の後は母の勉強タイムだった。機械に弱いからと取扱説明書を見ながらのイメージトレーニングに付き合ったり、勉強会の模擬発表を聞いたり、私も随分母の勉強に協力したと思う。そんな母の姿を見て、勉強が好きな訳ではなかったが、どこまでも完成しない生涯を通して極めていく看護というものを仕事にしたいと思った。そして、夢は叶った。

看護師の仕事は日常生活援助であり、援助を必要とする患者さんたちがあちこちでナースコールを鳴らす。それに加え、手術患者のむかえ、救急患者の入院、清潔ケアなどなど限られた時間の中でやらなければならないことが多く、常に時間に追われ、心が擦り減っていった。あの患者さんの話をもっと聞きたかったのに、あの患者さんのシャンプーもしたかったのに、あの患者さんを散歩に連れて行きたかったのに...と自分の理想と現実のギャップに何度も肩を落とした。新人のころは(今でもたまにそうだが)、疲れ果てて帰ってお風呂にも入らず寝るのはいつものこと、鍵を手にしたまま寝たこともあるし、看護を生涯通して極めていくつもりだったが、定年までなんてとても働けない気がした。しかし、経験を積んでいくうちに、仕事が楽しくなってきた。もっとこうしたら患者さんが楽になるんじゃないか、リハビリが進むんじゃないか、自宅に帰れるんじゃないか。問題を解決するにあたっての策が浮かぶようになってきた。さらに経験を積んだ先輩方の策には目から何枚もうろこが落ちた。それらの解決策により問題が解決し、患者さんが笑顔で帰っていくときは本当に気持ちがいい。退院する患者さんを見送るのは外科系病棟で務める看護師の醍醐味だと思う。

先日帰省した際に家族で温泉旅行に行った。温泉に入っていても母は、「こんな排尿障害の患者さんがいるんやけど、どうケアしたらいいと思う?」とそこでも仕事の話をしていた。私もこんな患者さんがいた時はこうしたと、話は盛り上がり、側で聞いていた姉がいつまで膀胱の話をするのかと呆れていた。「お母さん、仕事好きやな~」とやや呆れ気味に話す私に、母はにやにやしながらこう答えた。「な~、いい仕事やろ~?看護って。」

生涯を通して極めていく看護に憧れたが、本当はこんなに看護に熱中して、いきいき働く母の姿に心惹かれたのかもしれないと思う。
「な~お母さん、いい仕事やわ。看護って」

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