見えないものを看る

  • 2011/09
  • 看護師・精神看護専門看護師:大橋 明子

私には1歳半になるこどもがおります。名前は凛で、通称りんりんです。最近のりんりんは、いくつかの意味あるような言葉を発するようになりました。例えば「コッコー」「おーでぃーばぁー」など。ちなみに「コッコー」とは麦茶の入ったコップのことで、「おーでぃーばぁー」は、いないいないばぁ。他人には理解できない表現ですが、母親だからでしょうか、察しがつき理解できるようになりました。
ちなみに父親は、了解不能だそうです。

私は精神看護を専門としていますが、そのなかでも同じように他人にはわからないけれどなぜそのようにするのか「察しがつく」患者さんの表現がいくつかあります。ある日私は、真夏の暑い時期に何重にも服を着ている統合失調症の患者さんにお会いしました。
汗もしたたり、脱水になる危険性もあったので、看護師たちは脱衣を促すのに必死でした。そこで一言、「怖い思いをしているのですか?大丈夫ですよ、ここの壁は厚くて頑丈です!」と話すと、ちらりと横目で見ながら「そうなの・・。」と。
何度かそのようなアプローチを看護師みんなでしているうちに、だんだんと薄着になり、脱衣ができなかったため行わなかった入浴もすんなりできるようになりました。
この方には、自分の体や頭の中に外から何か入ってくるという幻覚、あるいは妄想といった統合失調症の症状があり、それらから身を守るために厚着をしていたのです。

精神看護の実践においては、よく相手を観察し、なぜこの方はこのような振る舞いや態度をするのかなどを考え、その理由の仮説を立てます。そしてその仮説を、相手とお話をするなどかかわりながらこころの状態を検証していくことが精神看護の一つのプロセスであり特徴だと思います。
しかし、この仮説をたてること、あるいは現在の状態の原因や理由を検索することが難しいとよく聞きます。
たしかに、精神症状、人の心の状態は、数値ですべてを表せるものではなく、はっきりしません。それでも、相手に合った看護を見つけ提供するためにも、理解を深めるよう努めます。

把握しにくい人の心や精神症状をより正確につかむには、五感をフル活動させ想像力を働かせることが必要だと思います。見て、聞いて、触れて、嗅いで、時には相手が味わっているものを食して、そこから考えられるものは何かと。
さらに、五感から得られた結果は一つに断定せず、「他に考えられることはないか」と考え続けていくことも大事です。
その、「他に考えられること」を見つけるためには、そもそもの自分の見方や考え方がバラエティー豊かではないといけません。食事をたべないという一つの状態においても、食欲がないということだけが原因ではなく、食事であることを認識できない、食動作がとれない、あるいは被毒妄想(食事の中に毒が入っている)があるなど様々考えられます。

精神看護のエキスパートやベテランは、これらの実践を自然に行い、相手の現状と自分の認識が合わないということがほとんどないのですが、それは様々な経験によって磨かれた精神看護の感性を持っているからと思います。私は子育てをとおして、この精神看護に必要な感性がすこしだけ磨かれたように感じます。
まずは、こどもの体温を触れるだけでだいたい何度であるか当てられ、泣く理由も把握できるようになりました(笑)。
感性を磨くには、様々なことを感じ、考えるようアンテナを張り、人とかかわり豊かな生活、人生をおくることのようです。
私もこどもや周りの人と一緒に楽しみながら、泣いたり、笑ったり、怒ってみたり、喜んだりして、人のこころの動きや有様に対する感性を高めていきたいと思っています。

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