私の看護を支えてきたもの

2013.12.20
川元 美里
  • 2013/12
  • 助産師:川元 美里

看護職として働き始めてから、振り返ってみると15年弱経ちました。看護職として、臨床でいえば中堅からベテランといったところでしょう。このぐらいの経験年数の誰しもが、何か自分のすばらしい看護経験のひとつやふたつをこういった機会に記すことができるのかもしれません。しかし、私が看護職としての自分を振り返ったときに思い出すものは、対象者に支えてもらった経験ばかりなのです。

私が担当していた一組のカップルが大変な不妊治療の末に妊娠しました。本人たちの喜びもひとしおで、ともにその思いを分かち合った日は昨日のことのように思い出します。非常に難しい状態だったこともあり、私も特別な思いをもって関わっていました。しかし喜びもつかの間、この妊娠は3ヶ月目に流産という結果を迎えました。この治療周期が始まる前に「これで不妊治療は終わりにしよう」とおっしゃっていたことを思い出しながら、なんと声をかけていいか私もよくわからないままご本人たちを訪ねました。できることは本人の話を聞くことだけだと思っていましたが、本人は話もせずにさめざめと、ただ泣いていました。私も何もかける言葉はみつからないまま本人のそばにいることしかできませんでした。

それ以降もただそばにいることしかできない日々が続きました。彼らは何をしてほしいと言うことはありません。なぜ私の赤ちゃんはいなくなってしまったのだろうという疑問や悲しみを口にすることはありましたが、私は彼らの話を聴くことしかできませんでした。こんなときに、こんなときだからこそ対象者のそばにいることの大切さは分かっていたつもりですが、わかってはいても葛藤がありました。なにかできるケアはないのだろうかと探してしまうのです。手や目を動かし、からだを使ってケアをして、相手に何か少し楽になってもらう方法はないのだろうかとどうしても考えてしまうのです。懸命にそのことについて考えてしまったのは、そうすることで私が楽になりたいと思ったからにほかなりません。

流産から2ヶ月ほど経ったときには、対象者はお話ができるようになっていました。話題は日常の他愛のない話から、最近の天気の話、ニュースの話・・・色々な話をして、2ヶ月前の悲しい出来事についても話しました。そのひとときが本人たちにとってどんな時間だったかは訊いていませんが、お話が終わってお別れする最後に「川元さんが頑張っているから、私たちも頑張れるよ。」と言ってくださいました。感極まりながら、その場では気のきいた言葉も返せずにその場を失礼しました。

改めて、対象者の温かさや頑張り、その人がそこに在るということに対する感謝が自分の看護をつくってきたと強く実感する経験でした。今は教員という立場になり、不妊に悩む対象者やカップルと直接触れ合う機会は少なくなってしまいましたが、私の看護を支えている根本は大切にしていきたいと思っています。

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