「看護の醍醐味」

2005.01.01
佐居 由美
  • 2005/01
  • 看護師:佐居 由美

看護の醍醐味は?と人に聞かれると、私は、間違いなく「患者さんの回復過程に立ち会えること」と答えるだろう。私は、外科病棟で看護師として勤務していたので、10数cmにおよぶ手術の傷で手術当日はとても痛くて動くこともままならない患者さんが、日に日に傷が治癒し動けるようになり、傷がくっついて元気になっていく姿をみる機会が多かった。いつも、目の前で展開される人間の回復力のすばらしさに感動していた。痛み苦しんでいた患者さんが、元気になり回復していく様子をみることは本当に嬉しかったし、その回復過程がスムーズに進行するように患者さんの入院生活を支える看護師の仕事が面白いなあと感じていた。

私が集中治療室で勤務していたとき、泌尿器系の大きな手術後に集中治療室に入室してこられた50歳代の男性(Aさん)がいた。手術後はとても痛みが激しかったが、私は主治医と相談しながら、痛み止めの薬を使ってAさんが少しでも早くベッドから離れて歩くことが出来るように、また、歩きやすいように点滴類をまとめたりと配慮した。Aさんは経過が良好で、翌日には一般病棟に移られた。そのAさんが、退院を明日に控えた日に、わざわざ集中治療室まで私に会いに来てくださった。「あの節はお世話になりました。おかげさまで元気に退院することができます」と笑顔でおっしゃるAさんは、とても元気で背筋をピンと伸ばし姿勢よく立っていて、手術後痛みのため前屈みになっていた姿はどこへやら、といった感じだった。私がAさんを受け持ったのは、Aさんの長い入院生活の中のほんの1日だけだったはずである。けれど、Aさんはわざわざ私に会いに集中治療室に来てくれた。そんなAさんをみて、看護師冥利につきると感じた。

あるとき、ナイチンゲールの「看護覚え書」のなかに、「看護は修復過程を助けるべきである(Nursing ought to assist the reparative process)」という一節1)をみつけた。看護学生時代には読んだであろう先人のこの本のことは、私の記憶からすっかり消えていたが、看護師になり改めてナイチンゲールの書に触れ、彼女の偉大さを感じずにはいられなかった。

けれど、看護の仕事というのは、時には、患者さんの死と向き合わなければいけないときがある。あるとき、癌が肺に転移して呼吸がしにくくて、とても苦しんでいる患者さん(Tさん)がいた。その患者さんは、50歳台の女性の方でバリバリのキャリアウーマンだった。男の子3人の母親でもあった。ある日、Tさんの呼吸の苦しみを和らげるための薬が処方された。その薬は、苦しみも和らげるけれど、眠くなる作用もあった。その薬がTさんに投与された翌日、Tさんは、「看護婦さん、私は息が苦しくても、起きていたい。みんなと話がしたい。」と、苦しい呼吸の中、息も絶え絶えに私に言った。それを聞き、Tさんの苦しみをつらくてみていられなかったご家族も、私も一様に驚いた。"患者さんの苦しみをとること"、そのことばかりに気をとられ、Tさん自身がどうしたいか、ということに考えが及ばなかった自分を恥じた。そして、"患者さんは、苦しいことはとってほしいに決まっている"と思い込んでいる自分にも気づいた。即刻、その薬の投与は中止された。看護の奥深さを痛感した出来事であった。今から、数年前の苦い思い出である。

先日、「自分で決めた生き方を実践するために」というテーマのシンポジウムに参加した。そのとき、最後まで自分で決めた生き方を貫いたTさんのことが頭をよぎり、患者さん自身の思いを常に尊重する、そんな看護師でありたい、と思った。
1)フロレンス・ナイチンゲール著、小林章夫他訳:対訳 看護覚え書(NOTES ON NURSING)、うぶすな書院、1998、5

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