'時(とき)'それは看護でも教育でも重要なキーワードの一つであると思う。このことは助産師としての実践や教師としての学生との関わりを通じて、最近とみに感じることだ。
周産期の臨床にたずさわっていた頃は、今この'時'をどう判断するかによって結果を左右するというターニングポイントのような場面や、もはやぐずぐずしていられない即刻の対応が求められる場面に出くわすことがあった。一方、その人がわれわれを必要とする時にこそ応えられるようにと備えて、今はあえて何もしないほうがよい、することがない、できないなどと判断し、求められるかどうかわからない時を待って過ごすということもあった。出遅れても、先に出過ぎてもいけないのである。このように絶妙なタイミングをはかることも看護や助産の醍醐味の一つだ。
学生の成長は著しく、1年間、4年間、そして卒業後と、その変化に目を見張ることがある。居眠りばかりしていた人、実習記録やレポートを前にすると頭が真っ白になって思考停止に陥ってしまった人、何を言いたいのかさっぱり要領を得ない説明しかできなかった人の、臨床家として立派に成長した姿をみることがしばしばある。私にも恩師がいるように、私のいわゆる教え子にあたる人たちは、十数年の時を経て、今や、私の近くで研究や教育を支える存在として欠くことのできない重要な役割を果たしてくれている。教育とは、卵の殻を親が外から刺激し、内側から子ども自身も破ろうとする、その両方のタイミングがあった時に雛鳥が生まれてくる様子をもともとは意味するとか。
人はまさに時の中を歩み、時とともに生きている。今でなければならないこともあれば、今でなくてもよいこともある。今はわからない、見えないことも、いずれ何かがわかり、何かが見えるようになる。そして、成長に必要な時の長さは個々に違うし、違ってよい。大切なのは、'時'を信じる、自分を信じることだと思う。
そのように、それぞれの課題を抱える学生にも患者さんにも伝えたいし、伝える役割があると思っている。
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