18歳の春、私は聖路加看護大学に入学した。和歌山県から単身上京、大学から徒歩圏内の月島で一人暮らしをし、看護を学び始めた。来る日も来る日も「看護」について勉強した。私は保健師を志して本学に入学したものの、保健婦さんが一体何をする人か、その仕事内容がよくわかってなかった。そんな私は、毎日繰り広げられる「看護」の勉強に、正直途方にくれていた。保健婦になるには、どうやら看護の勉強をしなければいけないようであった。だが、入院した経験もなく、親戚に看護婦さんもいない私にとって、看護は未知の世界だった。看護っていったい何なのか、全然わからなかった。どだい、私に、白衣の天使のナースなんてなれっこない、と思っていた。でも、入学してしまったからには、やるしかない。けれど、看護っていったい何をすればいいんだろう???????、と悶々とする日々を送っていた。
そんなある日、教室で「看護学原理」という授業をうけていたら、先生が大きく黒板に、「安全」「安楽」と書き、「看護とは、患者さんに安全と安楽を提供することなのです!」とおっしゃった。私は、そのとき、これが看護かぁ!!と思った。私が、「看護」を発見した瞬間である。闇が晴れた気がした。その日からずっと、実習のときも、病院で働きはじめてからも、そして今も、常にその場における患者さんの安楽と安全を考えて、患者さんにケアを行っている。「安全」と「安楽」は、私の看護実践における礎であり指標である。
(この原稿は、2005年度聖路加看護大学第29回白楊祭パンフレット掲載の文章を一部改変したものです)
●研究ページ
・日本型遺伝看護
・日常生活援助のための看護技術