看護師にも、実にいろんな専門!?の分野があり、内科、外科、小児、成人、高齢者などと看護師自身の興味や関心、得意・不得意とする分野があるが、私がどの分野に向いているのかを最終決定したのは、つい数年前のことであった。看護師としてはじめて社会に出てから、もうすぐ20年近くになろうとしている私の場合、かなり遅いほうかもしれない。
私は、「高齢者を対象とした看護」の道を歩んでいる。今日に至るまで、まっすぐに「看護の道」を進んできたわけではなく、その時々の自分に気持ちに素直!?に行動し、「看護」の隣の芝生に足を踏み入れ「看護っていったい何だろう?」と冷ややかに静観していた一時期もあった。しかしその私が、いつの間にか「看護」の世界に戻っているこの現実をふりかえると、「看護」とは、とても不思議な魅力をもっていると実感する。
看護師としての歩みの中で、「いつかあのような看護師になりたい」という「理想」とする先輩看護師に、看護師1年目の時期に出会えたことは、現在の自分に強く影響を与えている。
私は、大学病院の放射線科病棟に配属になった。緩和ケアという言葉はまだなく、ようやく経口モルヒネが開始になりはじめた時代で、点滴などの医療処置を含む積極的な治療を行わない、がんの終末期の患者様の入院生活の中での食事や排泄、清潔や環境を快適かつ安楽に整えることや、苦痛を緩和する看護が中心の病棟だった。この毎日行う「日常生活への援助」という「看護」における基本的な援助が、患者様にとってはとても重要で、その援助の良し悪しによって、患者様の療養生活の質(QOL)が大きく変わることを実感した。しかし、20代前半の私には、中高齢の患者様の思いや人生の歩みを受容できるだけの人生経験も包容力もないことや、同期の友人と比べ医療処置の経験が少ないことへの焦りも感じていた。そんな病棟に気になる2人の先輩看護師がいた。
多くの先輩看護師の中でも患者様からダントツの人気があった(新人の私にはそう見えたのだが)40歳半ばのAさん。多くの高齢患者様からは、「Aさんのような看護師になりなさいよ」と励まされたことが幾度もあった。なぜ彼女は患者様から人気があるのか?と考えたところ、その人柄からにじみ出る癒しの雰囲気と、何でも受容してくれる包容力と安心感があるように感じた。そんな彼女のところには、患者様が求める心身のさまざまな重要な情報が知らず知らずのうちに集まるため本当に不思議であった。Aさんは、「看護師である前に、人としてのいろいろな経験をすることが、全て看護につながるのよ」と、なにげなく話してくれた。
そしてもう一人は、外科で数年働いてきた20代後半のBさん。彼女は、患者様の様態が急変した状況においても、冷静に判断し決して焦る様子もなく的確に対応していく。患者様だけでなく同僚の看護師にも、どんなに大変な状況にあってもその大変さや忙しさという態度を少しも見せずに、むしろゆとりや心地よさを感じさせる話し方や身のこなしがあり、誰からも信頼されていた。医療処置等の技術に自信がなく焦燥感を感じていた私に、「医療処置の技術は必要だけれど、そればかりが看護でないし、さまざまな看護の経験をした方がよい」と相談にのってくれた。しかし、当時の私には、2人の言葉の意味を実感できなかったのは当然であった。
その後、自分の関心や気持ち、能力に必要性を感じた分野でいろいろな看護を学ぶことができた。救急医療における看護、企業における看護、在宅訪問看護、看護以外のすべての経験が、現在の「高齢者への看護」へとつながっているように感じる。多くの高齢者は、「看護師さんは忙しいから・・申し訳なくて」と遠慮がちに、伝えたいことを十分言えずに気を遣うことが多い。その言葉を耳にするたびに、「あの2人のような看護師になりたい」と感じた原点にふりかえる。これからも「理想の看護師像」をめざした私の努力は日々つづいていく。
●研究ページ
・日本型高齢者ケア
・国際看護コラボレーション実践開発