お仕事はと聞かれて、「看護師です」と答えると、「大変なお仕事ですね」とねぎらっていただくことがしばしばです。多分、看護することが「大変」であると思ったら、今日まで、看護職として仕事を続けてこなかったかも知れません。私は、既に、年輩看護師の一人ですので、すでに30数年間、看護職として、多くの場で、様々な仕事をし、現在、大学院生の研究法や看護理論、そして国際看護学の看護教員として働いています。学部を卒業した時、自らの現在の専門性については考えも及びませんでした。30余年間の看護職としての私の歩みは、日本の看護の専門職化の歩みと重なり、多くの看護の場で出会った人々からの学びの機会が与えられ、そして人生の本質を探求する歩みであり、それが看護師の原動力であったように思います。看護の本質は、健康な生活が基本的人権であり、全ての人に保障されるべきものであるという価値に立って、患者様あるいはクライアントの人権としての健康を基本的ニーズの側面から生きられる時間の中で助けることです。
まず、人は生きら時間に限りがあることを教えていただいたのは、20歳代の患者様でした。その若い患者様は高校生の時から肺結核で長く療養生活をし、健康を回復して、やっと、社会に出て仕事を始めた矢先に、風邪かと思う体調の変化で、聖路加国際病院に受診しました。診察の結果、即、入院で精密検査でした。患者様は再度、入院するような状況になったことで、自らの道が再び絶たれてしまったことでふさぎ込んでおられました。診断は急性腎不全、余命3ケ月とのことで、両親のおられる郷里に帰られることになり、退院になりました。退院の時に、お礼ということで、看護師である私を励ます詩を残してくださいました。なんと皮肉なことか、健康に恵まれた私が、健康を失いそして生命までも絶たれようとしている方から励まされてしまいました。このように、健康が当たり前であった私は、初めて、健康がいかに大切で、生きられる時間は限られて、与えられていることを、若い患者様の短かった人生の時間を共有させていただいたことで初めて、気づき、学ばされたのでした。
全ての人々が健康に生きる権利の保障をすることは、看護の本質ですが、未だに活動中の課題です。看護教員として働き始めて、パキスタンの首都、イスラマバードで小児看護教育の長期派遣の専門家としての協力活動の機会が与えられました。実習先で出会う患児は、栄養不良で、虚弱でその家族は入院していても不安そうでした。また、治療を受けることもなく亡くなる多くの人々が多いことも知りました。世界の健康状態の格差は、大きいものでした。世界保健機関(WHO)が創立されてから、60年がたちますが、依然としてこの課題に立ち向かっています。WHOの提唱する戦略は、個人、組織、そして国レベルの協力です。日本にも健康に恵まれない人々がいるのになぜ海外までいってといわれる方もおられますが、すでに、地球が私たちのコミュニティで隣人は地球上にいるということで、看護は国境も越えて存在します。
30余年間、看護職を通して、なんと多くの人々との出会いと経験が私の歩みを豊かにしてくれたことかと、看護職であることに感謝の念で一杯です。これからの進路を考えている若い方に、看護職は大変かも知れませんが、良き職業であるとお勧めしますし、これから国境を越えて、地球人として同じ時間を生きる仲間として、共に生きられたらと思います。