皆さんにとって、これまで生きてきた中で「心が動いた」経験とはどのようなものでしょうか。自分にとって決して忘れえぬ、人生に影響を与えた経験。それが私にはミャンマーという国で働いているさなか、何の気なしに訪れた地方のあるお寺で起こりました。ミャンマー連邦(旧ビルマ)―、人口約5200万人で135の民族が混在し東南アジアに位置する仏教国、それよりも発展途上国や軍事政権、あるいはアウンサン・スー・チー女史といったキーワードを思い浮かべる方のほうが多いかもしれません。否、ミャンマーという国自体について全く知る機会のない方のほうが多数でしょうか。しかし近代の歴史を見ると、日本とミャンマーは驚くほどつながりが深く、官民ともに密接な交流があったことがわかります。
助産師である私がこの国での活動に従事して一年以上過ぎた頃、私は遣り残した仕事の数々と自分の能力のなさを実感しつつ、任期切れが迫り今後の身の振り方を考えねばならない時期が来ました。先に述べたお寺を訪れたのはちょうどこの頃と重なります。お寺の大僧正は私が日本人であることがわかると、第二次世界大戦の時の出来事をゆっくりと語り始めました。「私がまだ子どもの頃のことだけど、日本の兵隊さんたちのことはとてもよく覚えていますよ。少人数にもかかわらず圧倒的多数のイギリス軍を戦術で破ったときには、子どもながらに日本人はすごい、と思ったものです。」日本軍は当時、後に世界戦史上最悪の作戦といわれるインパール作戦のため8万人以上をビルマ戦線に投入していました。戦死及び飢え・病気による戦病者計7万人以上と、日本軍の撤退路は「白骨街道」と呼ばれるほど日本の軍服を着た屍が続いていたといいます。ご遺族や戦友の方々が戦後60年を経た今も慰霊団としてミャンマーを訪問し祈りをささげる姿は、7万人以上の戦没者一人ひとりにかけがえのない人生があったこと、そして60年以上前にこの地で亡くなった方々の思いに心を馳せる時間を私に与えるようになっていました。大僧正はさらに続けます。「当時の私の感覚では黒い日本人と白い日本人(大僧正の表現のママ)がいて、黒い日本人はあまり良い人ではなかったけど白い日本人にはとても良い印象がありました。白い日本人の中には私のようなミャンマー人の子どもをとてもかわいがってくれて、戦闘の合間に持っているナイフで木彫りの人形を彫ってくれたりしたのですよ。」
60年後に同じ日本人としてミャンマーの地を訪れた私はこの国で何ひとつやり遂げず、先に進んでいくしかないのかなぁ―そんなことを考えていたら、お寺を去る時間となりました。車に乗ろうとすると、大僧正は私に何かを手渡そうとしました。―黒くて埃っぽい木彫りの動物―そう、60年前の日本人からミャンマー人に渡されたものが、時を経てまた日本人に戻ってきたのでした。「あぁ、バトンが回ってきたんだ。」なぜか自然とそう思えた私は、その後様々な課題をクリアしつつ、現在、本大学の博士課程の院生としてミャンマー農村部で住民自身が地域の母と子の保健環境向上をめざすサポート・プログラムに携わっています。
意識・無意識に関わらず自分が存在する以前の過去と今の私が確実につながっていることに気づかせてくれた地で、私は今を生きる日本の助産師として、何より人間として、ミャンマーの人々と共に泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら自分の健康を自分で守る術を考える時間を楽しむ日々を送っております。