在宅ケアの仕事の中で

2008.06.20
山田 雅子
  • 2008/06
  • 看護実践研究開発センター
  • 看護師:山田 雅子

こんにちは。聖路加看護大学で在宅看護学を担当している山田雅子と申します。私は看護師になって20年と少しの間、ずっと在宅ケアの仕事を続けてきました。続けたという意味は、ずっと訪問看護師をしていたということではなく、病院、訪問看護ステーション、行政といった職場はさまざま経験いたしましたが、立場を変えながら、ずっと在宅ケアのことを考え、そのときそのときの課題について自分なりに取り組んできたという意味です。

なぜ在宅ケアなのかということですが、私が16歳のときに、祖父が自宅でなくなったという経験をしたというのが一つのきっかけでしょうか。(自分ではそういう意識はありませんが、何人かにインタビューを受ける中で、そうなのかなあと思わされています。)その経験を通して、病気をもつ人々は、病院に通ったり、入院したりで病気の治療を受けますが、そうした時間は人生の中ではほんの少しの限られた時間であり、病気を持ちながら生きていく時間の大半は、家庭や職場の中で、医療者ではない人々と共に過ごしているのだという意識を持つに至ったように思います。

医療者ではない人々の中で、病気と共に過ごすということで、時には、大切な人と意見が合わずに喧嘩になったり、楽しい食卓に冷たい空気が吹き込まれたりします。我が家では茶碗が飛んでくるような喧嘩がありました。これは個人の病気が周りにいる家族などに影響を及ぼしていて、その影響について当事者たちだけではうまく乗り切れていない状況にあることに気がつかずに、茶碗に当たってしまうといったことなのでしょうね。

喧嘩の原因はさまざまです。医師から言われて食事制限を守れない姿に怒ったり、知っていながらお酒を勧める来訪者に対して腹が立ったり、いちいち言われることにイラついたり、愛情があるが故の喧嘩なのでしょうね。そうした些細な毎日の一つ一つのやり取りの中に、病気が関わってきます。そしてその毎日のやり取りをしている生活そのものが病気療養の姿なのだと思います。入院をしていて、出される食事をいただき、それで体調が良くなったとしても、それは病気療養ではないのですね。自分の生活の中に戻ったときに、どのようにして自分スタイルの病気療養をしていくのかを、自分たちの力で組み立てていくことが真の病気からの回復につながるのだと考えます。喧嘩はそのために必要なのかもしれません。しかし過度な喧嘩では、家庭崩壊になることもありますから、そこはプロの視点でうまく解決していくための相談に応ずることができると思っています。

在宅ケアはこうした療養を支援することが仕事です。病気からの回復、病気の予防、症状の緩和、そして亡くなることについても支援することができます。死亡についてはそれまでの経過を医療者として全てお預かりするのではなく、ご本人とその家族が、亡くなるかもしれないといった課題を乗り越えるために、その時を過ごしている中で、タイミングを見ながらそのお手伝いをするという仕事です。テーマが病気からの回復であっても見取りであっても看護師としての視点は変わりません。そうした看護師を育成することが在宅看護学なのだと考えています。

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