米国の移植チームから学んだ医療の連携

2009.11.20
山本 由子
  • 2009/11
  • 看護師:山本 由子

看護師として初めて就職したのは大学病院の循環器外科病棟でした。意欲的な新人では全くなかったのですが、大手術を受け、人工呼吸器から離脱し、リハビリを開始し、歩けるようになって退院していく姿は"人間って凄い、医療って凄い"と感じ、そこに関わる看護こそ要ではないかと考えました。その後、もっと学んでいきたいとの願いが叶い、米国の移植医療現場を研修する機会を得ました。そこでの見聞は現在でも時々想い出されます。この経験を少しお伝えしようと思います。

研修先のメディカルセンターは、すでに米国で盛んに行われていた心臓移植の拠点病院のひとつでした。
まず、メディカル・ソーシャルワーカー(MSW)と一緒に移植待機中の方をまわりました。MSWから移植の説明や意志の確認が繰り返されます。すると患者の傍らで一緒に話を聞いている女性が血圧測定を始めました。赤いマニキュア、カーリーヘア、白が基調でも自由な服装、見るとネームカードを付けています。てっきり家族かと思っていた人は担当看護師でした。プライマリーナシングでは看護師が患者と1対1で一貫したケアを行い、看護の全責任を持ちます。患者の立場からは、入院中ずっと看てくれる安心感・信頼関係があるのでしょう。大部屋では別の患者から、椅子からベッドに戻るとか、ちょっとした用事など、そこらにいるスタッフに頼めば済むのにと思うようなことでも「私の看護師を呼んでくれ」とコールを依頼されることがよくありました。

通常、術後の集中治療室(ICU)の滞在期間は4~5日です。退院後再入院し、ICU滞在が二週間になるという他国籍の移植後患者と挨拶をかわしたことがあります。表情が暗い以外は臨床上問題はないように見えました。スタッフに聞くと、心臓の状態は問題ないがメンタル面でフォローしている、外国人ではこういうケースがあるとのことでした。
医療水準が低い国の限られた裕福層が、米国で治療を受けて自国に戻ると、その後のささいな身体の変調も不安になり、結局自国で暮らすことができなくなるのです。寒々としたICUの室内が唯一安心して休める場所なのです。医療技術の発展は、もちろん全人類が平等に恩恵を被ってしかるべきですが、文化の差、また宗教の違いはなかなか解決できない深い矛盾を抱えていると感じました。

ICUというと機器のアラーム音や人の出入りで物々しい雰囲気を想像します。予定手術以外に毎週1~2例の心臓移植が行われている研修先は、ガラス面を広く取った二重ドア構造の全個室で、実に静かでした。手術室からの入室も医師と麻酔医各1名程で粛々と進み、順調に経過すると、一般病棟の個室、大部屋とステップダウンし、2週間ほどで退院となります。移植待機者で補助人工心臓が必要な方がいました。重症心不全のため眼も開けらず、少しずつ何日もかけた説明に同席しました。いよいよ設置という前夜に提供者が現れ、移植が成功しました。翌日の輝くような笑顔は忘れることができません。
ICUと外来の看護師に、何が1番大変か尋ねたことがあります。それぞれ「他の心臓手術より容易」「一人一人の違いに応じてフォローを続けていくこと」と返答されました。移植看護の過程では手術から退院はほんの一部に過ぎず、それからの期間こそ真に看護支援が重要なのだと気付きました。

印象深かったのが、個人主義・スペシャリスト全盛の米国でのチーム体制です。心臓移植チームは週1回、日勤業務1時間前の午前6時から移植メンバーが集まってミーティングを行っていました。教授から若手医師、コーディネーター、MSW、病棟・外来看護師、心理療法士、理学療法士など。誰でも参加可能で、コーヒーとベーグルを片手に、移植患者リストを持ち、輪になって入院中または最近問題となった患者の経過と最優先待機者の報告をそれぞれの立場から対等に率直に話し合い、情報を共有して役割を分担していました。専門職に任せきりにせず、おそらく患者が一番楽に接することができるであろうスタッフが柔軟に対応していたのです。
これらは実は20余年も前のことです。いったい彼らに追いつけたのかと振り返っています。

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