「こんな仕事今日で終わり。もう二度とやるもんか。」退職する日、私は白衣を脱ぎながら、ロッカールームで一人つぶやいていました。
看護大学卒業後、外科病棟に就職してから6年。当時、私は心身ともに仕事から来る疲労の極致におり、小さな頃から憧れてやっとなれたはずの看護師という職業を「こんな仕事」と貶めるまでになっていました。このまま続けていたら自分がだめになってしまう、そんな危機感から退職を決意しましたが、自分はもう看護の世界に戻ってくることはないだろう、と強く確信していたのを覚えています。
退職後は今までとは打って変わって、「人の生命」や「責任」などとは無縁な、のんびりした気ままな毎日を過ごしていました。そんなある日、なんとなく受けてみた区のがん検診の結果が私のもとに届きました。そこには「至急精密検査」と記されていました。胸騒ぎを覚え病院を訪れると、「がんの可能性を否定できない細胞が出たので詳しい検査が必要」と説明されました。まだ「可能性」なのにとてもショックを受け、精密検査の結果が出るまでの1週間は生気のない、まるで魂の抜けたような生活を送っていました。
検査の結果、がんではなかったことがわかりましたが、「これが本当にがんだったら、自分はどうなっていただろう」と考えると素直に喜ぶことができませんでした。まだ先は長いと思っていた自分の人生が予想外に短いかもしれない・・、治療にかかるお金をどうしよう、家族に病気のことをなんて話せばいいんだろう。悲観的な考えしか湧かず、とても「病気と闘う」という気にはなれないと思いました。その時ふと思い出されたのは、私が臨床で出会った数々の患者さん達の顔でした。
私の勤めていた外科病棟は、がんを手術で取るために入院してくる患者さんが主でした。私は患者さんを無事手術に送り、手術後は順調な経過が辿れるよう、一生懸命看護をしていたつもりでした。でも患者さんは、私が「がんでありませんように」と祈ったのと同じように祈ったけれど、結果、がんである、という事実に直面されていたのだと思います。病気を受け止めるのでさえ大変なことなのに、その上自分の身体にメスを入れる「手術」という大きな決断までされて入院して来られた患者さん達。私はちゃんと看ているつもりでしたが、私が看ていたのは「入院中」のことだけで、そこに至るまでの患者さんの苦しみや不安、葛藤を理解しようとしていただろうか・・・。私は患者さんの何も看ていなかったのだ、とその時気づきました。そのことが申し訳なく、私は出会った患者さんを全て探し出し、謝ってまわりたいような気持ちになりました。そしてどうしたらあの患者さん達に許してもらえるだろうか、と考えるようになりました。
私はその後、再び看護師として臨床の現場に立っていました。患者さん達が人生や生命を懸けて私に教えてくれたこと、それを臨床実践を通じて他の患者さんにお返ししていくことで許しが得られるのではないか、そのような考えからです。今は縁あって教員をやっており、臨床からは離れているので、「許しの道」から外れてしまったような気になる時もあります。でも、慣れない仕事に悪戦苦闘しながらも、「こんな仕事」と思っていたはずの「看護」に関わり続けようとしている私を、あの患者さん達はどこからか見つめ、見守っている。いつでもそう感じるのです。