せんす・おぶ・わんだー

2010.08.20
蛭田 明子
  • 2010/08
  • 助産師:蛭田 明子

私事であるが、入道雲が空に浮かび、風鈴のチリンという音にいっときの涼を感じる夏のこの季節は、亡くなった父の誕生月である。父は晩年の1年を、太平洋の海原を見下ろす病院で過ごしたが、容体が不安定になり始めてからは「よく目が届くから」という理由で、小さなすりガラスの窓しかない部屋に移され、そこで最期を迎えた。その頃はもう眠っていることも多く、どんな部屋であろうと父がその違いをはっきり意識することはなかったかもしれない。しかし父のところへ行くたびに、一日中陽のさしこまない殺風景な部屋の景色を眺め、父は何を感じているだろうと思わずにはいられなかった。そしてそんな時に思い出すのが、ある妊婦さんの言葉だった。

私が勤務していた周産期医療センターは、MFICU(Maternal Fetal Intensive Care Unit)を分娩室のそばに併設していた。妊娠・出産は病気ではないという一方で、加療と注意深い観察を必要とする、いわゆるハイリスクと称される妊娠・出産もある。MFICUとは、理由は様々だがそうしたハイリスクの妊産褥婦さんが入院するユニットである。妊婦さん一人あたりのスタッフ数が多く、緊急時にはいつでも対応してもらえるということに安心を感じる妊婦さんがいる一方で、ある妊婦さんは「ここは牢獄のようだった」と後日語られた。早産のリスクを抱えた妊婦さんの中には、トイレに自由に行くこともままならず、日々ベッドの上で天井だけを眺めながら過ごすことを余儀なくされる方もいる。部屋は個室で一見申し分ないようであるが、自分で開けることのできない窓(やはりすりガラスだった)とただ白い壁に囲まれて、部屋の中の風景は変わることがない。加えて部屋の外にはいつもスタッフがいて、自分は観察の対象となっている。強い閉塞感を訴えられたこの妊婦さんの言葉に、医療者の態度を含め私達の提供する環境が、いかにICUという特性に甘んじていたかをその時改めて考えたのだった。

どんな状況においても、感覚を通して人は世界を認識する。生活の中で苦しみや心配事に出会ったとしても、満足感と生きていることへの新たなよろこびに通ずる小道を見つけ出すのは、自然の美しさや不思議さに驚嘆する感性、すなわち「センス・オブ・ワンダー」だと述べたのは、レイチェル・カーソンである。風のそよぎ、ほころぶ蕾やふと漂う花の香り、虫の音に鳥の声、夕焼けに赤く染まる空、そして満ち欠けを繰り返す月、等々、日常の生活の中で自然の営みを感じながら人は生きている。医療においてはリスクの度合いが高くなればなるほど、そうした自然的なものから隔たった環境の中へと身をおかざるを得ないということが、現実的には多いように思う。しかし、自ら動くこともままならない状況においてこそ、「センス・オブ・ワンダー」は研ぎ澄まされ、ふとしたことで得た感覚に、人は生きているという実感や安らぎを得る。あの妊婦さんの言葉は、そういうことに目を向けるよう、私を促してくれたように思う。 そう考えて、父の容体がいい時には看護師さんに協力してもらい、父を病院のテラスに連れ出して波の音を一緒に聞いたりした。言葉を発することのなくなった父の真意は分かりかねるが、決して迷惑そうな顔をしてはいなかった(むしろ満足そうであった)と思う。

看護の「看」の字に見るという意味があるように、看護において五感は重要な意味をもつ。
それはアセスメントの文脈で語られることが多いが、感覚に訴えるケアを考えてみることも重要だろう。そのために、看護者自身が「センス・オブ・ワンダー」を育む必要があると考え、今日も私はキョロキョロしているのである。

看護コミュニティ

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