ことばを超えて伝わる気持ち

2010.09.20
五十嵐 ゆかり
  • 2010/09
  • 助産師:五十嵐 ゆかり

ほんの数年間であるが、私はオーストラリアで暮らした経験がある。英語がほとんど話せない状態で暮らし始めたため、生活はとても大変だった。それは単に英語が話せないだけではなく、その土地にある文化や独自のルールが分からず、そもそも何をどう聞いたらいいのか見当もつかず、とてつもなく不安になったことが何度もある。そんな状況であったにもかかわらず、腰を患い、現地の病院と理学療法士のクリニックへ通院する日々が続いたことがあった。そのときの経験は今でも忘れられない。

CTを撮って自宅に帰る途中、病院から携帯電話に連絡が入った。腰の状態がよくないので、病院に戻ってくるようにと。私はそんなに自分の状態が悪いのかと心配になり、病院に戻って説明を聞いた。オーストラリアでは英語が不得意な患者には通訳をつけることが義務づけられているため、自分の病状については大体理解できた。加えて、日本での臨床経験も役立って、自宅安静が必要ではあったが、そんなに深刻な状態でないこともわかり安心した。しかし、病状は大丈夫とわかったものの、いろいろな心配事が次から次へと浮かび、怖くなってしまった。そんなとき、安心できたのは同じ日本語を話す日本人の友人たちに相談できたことであった。現地には、医療系の友人はいなかったが、同じ言語を話し、自分の気持ちを聞き、また文化的に持つ感覚を理解してくれる人たちの存在はとても大きく、心強かった。それだけではなく、私を安心させてくれたのは病院のスタッフや理学療法士であった。彼らはとても親身だった。常に通訳が付いてくれるわけでなかったので、自分で努力してコミュニケーションを図らなければならない場面が多々あったが、みんな私のつたない英語に耳を傾け、私を治したいという一生懸命な気持ちが伝わってきた。非常にうれしかった。腰の状態だけでなく、私自身に興味をもって気にかけていることがわかった。天候、日本の歴史や言語、職業の話など一般的な話も多くあったし、すべてが理解できないこともあったが、そのコミュニケーション自体が大切なのだと感じた。それによって、人とのつながりを実感し、異国の地でも人に気にかけてもらっている、という安心感が生まれ、きっとすぐに良くなるだろう、と楽観できる気持ちにまでなれた。

日本に帰ってからは、日本で出産する外国人女性と家族を支援する活動にかかわっている。これまでのいろいろな経験が活動の原動力になっていると感じている。オーストラリアに行く前は、臨床現場で外国人に出会ったとき、面倒くさいとか対応が難しそうとかという苦手意識が強かった。さらにそのような思いが態度や表情に出てしまっていたのではないか、と今は深く反省している。単に正しく伝えることが重要と思っていたが、それが必ずしも優先度が高くないことを、身を持って体験した。状況にもよるが、内容が正確に理解できなくでも、安心してもらうことがまずは大切だと思う。この病院にいて安心、この人たちに任せて大丈夫、という気持ちがあるから、治療を受け入れられる。それは外国人でなくとも患者であればだれにでもあてはまることだろう。

外国人とのコミュニケーションでは、言葉や文化などを含めた様々な違いがもたらす不便さ、あるいは不快さがあるかもしれないが、それらを超えてお互いに通じ合えることもある。言葉が伝えなくても表情や態度が伝える気持ちがある。人はだれかに気にかけてもらっていることを感じると、安らかな気持ちになれるのではないだろうか?

多文化社会といわれている今日、病院で外国人と出会うことも多くなってきている。困っている外国人を見かけたら、まずは日本語でゆっくり話しかけてみてほしい。あなたの思いはきっと通じることでしょう。

看護コミュニティ

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