緩和ケアのやりがい

2011.06.20
枝 晃司
  • 2011/06
  • 看護師:枝 晃司

「私たちが患者さんにできることなんて、何もないのよ」。
尊敬する上司に言われた言葉。

私は、縁あって緩和ケア病棟に新卒で配属され、3年目の春を迎えた。
葛藤や暗中模索の日々のなかで、自分の軽率な行動や浅はかな判断で患者さんを傷付けたこともあった。自分なんかが最期を看取らせて頂いたことを、申し訳なく思う時期もあった。

「患者さんにできることなんて何もない」。
1年目のときは、その言葉は単純で分かり易いものだった。やっぱり何もできないし、自分の関わりむなしく、亡くなっていくばかりだった。
"患者さんが良くなる姿に立ち会えること、退院していく姿を見ることが嬉しい"という文面を見る度、嫌気が差すときもあった。
やりがいを見出せない時期もあったし、ケアや介助で女性看護師を希望されて、悩み、落ち込むこともあった。
自分や家族が目を離した隙に、患者さんが1人きりで旅立たれたこともあり、知識不足や観察不足を悔み、自分の責任感の軽薄さを痛感した。自分の出来の悪さが悔しく、看護師と名乗ることが恥ずかしかった。

就職してからの2年間の間に、2人の祖父が亡くなった。
元気な頃はよく会っていたし、見舞いに行って排泄ケアの手伝いもした。看取りの場面に慣れていたせいか、葬式では泣かなかった。
でも、叔父が泣いていた。酒が好きだったからと、何度も祖父の唇をビールや日本酒で湿らせていた。

2年目の半ばを過ぎ、何かが徐々に変わり始めた。
患者さんから「あんたがいると安心だ」、「あなたに(ケアを)やってほしい」と言われることが多くなった。
患者さんと関わるのが怖くないし、失敗やミスを起こさないために勤務をこなしていた感覚が、徐々に薄くなっていくのを感じた。

3年目を迎えた今では、最期の瞬間に立ち会わせて頂けることの責任感の大きさや、光栄さを日々感じていて、やりがいを日々実感している。
「半年ぶりにお風呂に入った」、「髪を洗ってもらってスッキリした」、「散歩に出かけられて気分転換ができた」といった、我々が普段の生活の中で当たり前のように行っていることのケアに対し、あり余る程のフィードバックを頂けた。

患者さんの個性や習慣を尊重することができる恵まれた環境の中、様々な人生の先輩方と関わることで、男性看護師として出来ることの発見や成長、そして人間性を磨けることを嬉しく思える。
緩和ケアで働いているというと、「大変だね」、「疲れるでしょ?」、「大丈夫?」とよく言われるが、今ふりかえると、自然とこう返しているように思える。

「そうですね。でも、やりがいがありますから」と。

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