患者さんが今を生き切るために

2011.10.20
川端 愛
  • 2011/10
  • 看護師:川端 愛

今でもふと想い出される患者さん、彼の事を想う時、看護師として患者さんの残された時間に寄り添うことの大切さを痛感します。
彼は、胆嚢がんの進行により強い痛みがあり、オピオイド(鎮痛剤)を使用しながら、最期のときを緩和ケア病棟で療養していました。
歩くことができなくなり、ベッド上の生活を余儀なくされていましたが、入院生活も4ヵ月を過ぎたある日、彼は「外の空気を吸いたい」と言いました。
彼をストレッチャーに移し、酸素ボンベを携えて外に出ました。
この日は、梅雨の合間の雲一つない青空が広がっていました。病院の庭に木陰を見つけ、わずかな時間でしたが静かな時を共に過ごしました。
身体の痛みも忘れたかのように、彼は穏やかな眼差しで晴れ渡った空をただじっと見つめていました。そして、50年も前にやめたと言っていた信仰なのに、讃美歌を口ずさみ胸の前で十字を画き、合掌をして祈りを捧げていました。
この時、彼の胸に去来していたものは何だったのか、私には知る由もありませんが外の空気を全身で感じていた彼の姿を思い浮かべますと、何か心の内を整理していたようにも思います。

そのうちに、娘さんやお孫さんに囲まれて写真撮影が始まりました。カメラを向けると、彼は家族と一緒にピースサインをしてポーズをとっていました。
この写真を彼に見せますと、気に入ったのでしょうか「(自分が亡くなった後) これを仏壇に飾って。」と、何か簡単な用事を頼むかのように娘さんに伝えました。
それから1週間のち、本当に彼は旅立って逝かれました。

緩和ケアは、時代の要請を受け、これからもますます発展していくのでしょうが、標準化されたケアを一切寄せ付けない、生身の人と人とが関わる領域であると思います。
患者さんの苦痛は、病態から生じるものに加え、限りある時間を生きることの苦悩も伴います。
がん罹患により自分の心身をそぎ落とす様にして生まれ出た痛みに対して、患者当人ではない看護師に何が出来るのか。
彼らの歩んできた人生の中の喜びや悲しみに真摯に耳を傾け、時として語り合い、横顔や背中から言葉にならない声を察する、その姿勢こそが大切なのではないかと思うのです。
限られた時間ではありますが、自分らしくよりよく生き切ることが出来るように、そしてほんの少し先に僅かでも希望を見出すことが出来るように、看護師は現状に屈することなく常に志し、今できる看護とは何かと問い続けること、それが患者さんにできる唯一のことではないでしょうか。

看護コミュニティ

ページ評価アンケート

今後の記事投稿・更新の参考にさせていただきたいので、ぜひこの記事へのあなたの評価を投票してください。クリックするだけで投票できます。

Q.この記事や情報は役にたちましたか?

Q.具体的に役立った点や役に立たなかった点についてご記入ください。

例:○○の意味がわからなかった、リンクが切れていた、○○について知りたかったなど※記入していただいた内容に対してこちらから返信はしておりません

最大250文字