皆さんは、佐々木倫子さんが描かれた「おたんこナース」をご存知でしょうか?新人看護師、似鳥ユキエが中央線沿線と思われるK病院に勤務するという設定の、とても面白い漫画ですので、機会が有りましたらご覧ください。ちょうどこの漫画が流行っていた頃、私も新人看護師として配属されました。名前が同じで、勤務している病院や、蓄尿かめを持って夜勤の朝、処置と検温と時間とに追われ孤軍奮闘する姿も何だか共通していて、色々な人から「もしかしてこれあなたじゃないの?」と言われたくらい、私は似鳥さんに負けないくらいのおたんこナースでした。
私が看護短大を卒業して、同じ敷地内の中央線沿線の大学病院、腎臓泌尿器外科病棟に配属された時は、一般外科病棟への配属の希望が叶わなかったため、恥ずかしながら涙を流して悲しみました。華々しい(?)外科病棟に憧れていた何も分からない私は、お年寄りのおじいちゃんばかり(これも失礼な話ですね、後で違うことが分かるのですが)の病棟は、対局のように感じたのだと思います。しかし、実際は異なっていました。
配属された病棟は、もちろんご高齢の方も多かったですが(笑;実際に看護をさせて頂き、大変優しい人生の大先輩であることも学びました!)、老若男女を問わない幅広い対象と、多岐にわたる疾患、特殊な治療と看護などなど、大変勉強になりました。更に私はその病棟に配属されたことにより、生体腎移植という医療に出会うことになりました。
生体腎移植とは、末期的な腎臓の機能不全で透析治療を行っている患者さん(臓器を移植される人をレシピエントといいます)に対し、健康な親族(臓器を提供する人をドナーといいます)から腎臓が提供され、移植するという特殊な医療です。その病棟で年に2~3例程度実施される生体腎移植チームの一員になるには、ある程度の経験が必要とされましたし、病棟にとっても一大イベントでした。私が2年目の終わり頃に、レシピエントの受け持ち看護師となり、看護をする経験を持ちました。移植術の2日前に、ドナーに当たる御父様から11階のレストランで食事をしようと誘われ(今では難しいと思いますが)、ドナーの受け持ち看護師と、ドナーである御父様と一緒にお食事をする機会を頂きました。そこで、御父様がドナーになろうと思われた経緯、手術を前にした正直な気持ちなどを伺いました。当時は、無事に移植を実施することが第一だと考え、免疫抑制療法やプロトコール、計画された処置や看護を実践することだけに集中していたことを思い出します。移植手術が無事成功した翌日、自分もお腹から腰にかけて大きな傷を負っていた(当時は内視鏡術ではなく、腰部斜切開という筋肉を大きく切る大手術でした)御父様が、自分自身が患者となりながら、レシピエントの体調を気遣い、レシピエントの部屋までお見舞いに歩かれる姿を今でも忘れることが出来ません。術前の御父様のお話を伺って、また術後の御父様のご様子を拝見し、ドナーあっての移植であることやドナーが様々な思いを持って臓器を提供することを決意されていることを知りました。と当時に、ドナーへの看護がまだ十分とは言えないことも、知ることが出来ました。自分自身の大きな課題を見つけた経験でした。
最初は涙を流すほど嫌だった腎臓泌尿器外科への配属でしたが、今振り返ってみると、一生勉強していこうと思える研究領域への大事な出会いであったと、つくづく実感します。みなさんも長い臨床経験の中で、自分が一生勉強していきたいと思えるような経験は、意外なところに有るのかもしれません。どうぞ一つ一つの経験を大切に、頑張ってください。