福島県被災住民医療支援:「きぼうときずな」プロジェクトは、今年で活動が4年目に入ります。
2011年3月11日の東日本大震災勃発後、高速道路が開通した直後に福島県ご出身の東京大学医学系研究科大橋靖雄教授(当時)とその他の何名かが、福島県の県立福島医大を訪問しました。そのときは、食事も寝るところもガソリンも外部からの人間に余裕はありませんでしたが、その覚悟や準備はあったものの、あまりの破壊状況の激しさや現地の混乱状態に出会い、私たちは何もできずに東京に戻ってくることになりました。あらためて作戦会議を開き、出直してくるためにです。
地震・津波・原発事故に加えて、放射能汚染の風評被害という4重苦を余儀なくされた福島県の被災者の方々の今を、医療の面からどう支えていくか、一番最初に何をすればいいのかを早急に考えて結論を出さなければなりませんでした。
Dマットのような大きな組織に入って活動をしていなかった私たちは、自分たちだけでオリジナルな医療活動を考え、現地で実施させていただかなくてはなりません。相当な覚悟がいると私は思いましたが、東京大学の大橋教授の人間関係の中で活動に必要な人員を動員することができませんでした。
その時、私は聖路加の学生時代、教室でいつも右隣に坐っていた学友の八重ゆかりさん(看護実践開発研究センター専任研究員・当時)を思い出しました。彼女もまた大橋靖雄教授の教室の卒業生で、東京大学の医学系研究科の研究室でも偶然私の隣の机だったのです。私は彼女に電話をかけました。
「できるかどうかは、わからないけれど、聖路加と東大の教授を結び付けてくれないか、私は教授が理事長を務めているNPOをスポンサーとしてつける仕事をするから、聖路加看護大学のトップと大橋教授を会わせる機会をあなたが作ってくれないか」と彼女に頼みました。動きは思った以上に早く、3月中に大橋靖雄教授と山田雅子教授(看護実践開発研究センター長・当時)と井部俊子学長が会議を持ち、現地を視察訪問したのちに日野原重明理事長(当時)につないでくださり、聖路加大学内に「災害対策本部」を設置することができました。八重さんと私は、活動をさせてもらえる所を確保するために何度か福島県に出向き、自治体の方々と交渉をした結果、4月の末からいわき市に看護師・保健師の派遣、相馬市には精神看護専門看護師の派遣、郡山市にあるビックパレットその他の避難所に、5月から看護師・保健師の派遣を開始する許可が取れました。
スポンサーシップを担うNPOは「日本臨床研究支援ユニット」という所で、主に癌の臨床研究をしている法人ですが、「きぼうときずな」専用の対策本部を内部に設置し、八重ゆかりさんにもメンバーになっていただきました。大橋教授のお知り合いの方のご協力で、韓国の俳優ペ・ヨンジュン氏が医療支援専用車を3台、NPOに寄贈してくださることになり、現地での活動移動手段として、いわき、郡山、相馬の3市に福島県での運転手の雇用とともに車を配置することで、「きぼうときずな」の活動が本格的に開始されました。
5月10日には、福島市内で現地のマスコミを対象とした記者会見があり、大橋靖男教授は「NPO組織がスポンサーとなり聖路加看護大学の協力をえて、来年の3月31日までに延べ1千人の看護師・保健師をいわき、相馬、郡山の3市に派遣することを約束する」と声明を発表し、プロジェクトは事実上、活動計画を公にした形になりました。
初年度はすべてNPOに寄せられる寄付金活動を運営をし、募金活動はNPO職員と聖路加の看護実践開発研究センターの方々や、その他の一般市民の皆様からのご協力をいただく形で行い、現地派遣の看護師・保健師の動員は主に、八重ゆかりさんを中心に聖路加看護大学看護実践開発研究センターの山田雅子教授に監督をお願いして募集活動をしました。現地での滞在や移動手段の手配、雇用賃金の支払い面などの事務的業務は、NPOの「きぼうときずな」本部が請け負いました。
2013年以降からは、寄付金ではなく自治体からの受委託契約でプロジェクトをNPOを推進しています。避難所から全国の市町村へ引っ越しして行く方、福島県内の借り上げ住宅に移っていく方、仮設住宅や公営住宅へ移転される方と、被災された人々の生活が変化していく中で、「きぼうときずな」は、訪問看護活動を中心に保健センターの保健師さんたちと話会いを繰り返しながら、家族の健康を維持してために医療面で何が必要かを考えながら、3年続けてきました。
2011年当時からの訪問看護記録は、いわき市と、富岡町から避難されてこられた方を対象とした郡山市での私たちの活動を元にすでにデータベース化され、自治体で保存されその後の保健活動に役だっています。いわき市では山田雅子教授が健康調査票研究を纏められました。その他にも2013年の夏には神戸で開催されたWHO主催の被災地救済活動のポスター発表もありました。こうした活動はホームページの動画で見ることもできます。お時間が会ったらきぼうときずなでクリックして見てください。
2014年2月28日のテレビ朝日番組「朝まで生テレビ」をご覧になった方がいらっしゃればお分かりかと思いますが、現在の福島県民のお気持ちは震災当時と同じではありません。それぞれの生活様式も3年で個人差が大きく出てきています。岩手県や宮城県と違って、福島県の方々は、元暮らしていた町が放射能で汚染されているため、あるいは津波の危険性が高いという理由で帰ることができない状態が継続しています。いつになればという先も見えていません。3年の間に大雪にもみまわれ老朽化が始まっている応急仮設住宅に、今も暮らしている人々が今後はどこに移り住んでいけるのか。震災によって仕事を失い、働いている自分を取り戻せないでいる人たち、身寄りがない高齢者の方々は、誰が責任を持つのかなど、。緊急医療支援の時期をはるかに過ぎた今、きぼうときずなのプロジェクトもより掘り下げて活動を考えていかなくてはなりません。
復興庁の根元匠大臣に2013年に面会をしましたが、医療に関する話題は医師不足に集中しがちです。私の考えとしては、訪問看護や在宅看護の実践の可能性とその予算や人の獲得、実施計画を進めるにあたって現地と交渉をする組織作りなど、今後の課題となってくるだろうと考えています。原子力発電所の再稼働はおそらく認められていく傾向にあると思います。政治の方向性によって犠牲者として忘られていく人々も出てくるでしょう。その中で、一貫性をもった活動を今後も組織的にやっていきたいと思っています。