医療の言葉は難しいと、よく言われます。しかし私は、医療の言葉がなじみのない人たちにとって難しく感じられてしまうのは、説明する医療者に責任があると思うのです。
現在私は、看護学生と医学生が1学年に200人強いる大学に勤務しています。学生は1年生の頃(もちろんかつての私自身がそうであったように)、専門用語なんてちっともわかりません。「頓服」や「寛解」が読めないし書けないし、当然自分でも使えません。自分の体の仕組みも分かりません。しかし、3年生4年生になり医学生の場合5年生6年生になると、いつの間にか、本当にすらすらと滑らかに医療の専門用語を使うようになります。短時間にものすごい量の知識を吸収する学生たちを、純粋に「ああすごいな・・」と感じてしまいます。
しかし、多くの語彙を獲得し、それを使う能力が身につくにつれて、彼らは、「専門用語がわからなかった時の状態」を忘れてしまいます。教員に分からない言葉を投げかけられて戸惑ったこと、専門的な言葉やその意味、言葉の使い方がおぼつかなかった時の大変さは少しずつこなれて、代わりに医療者としての自信を少しずつ身に着けるのかもしれません。
でも待って・・・です。医療者同士で、正しく医療の専門用語を使う必要があることは当然です。プロなので。しかしプロだからこそ、医療に不慣れな相手と向き合った時には、どんな場面においても、相手の理解度に合わせて相手に分かりやすい説明を提供することが求められるのではないでしょうか。体の形態や機能、心音が聴こえる仕組みや、今起きているからだの異常とこれから行う治療について、易しい言葉で、時には何かに例えたりイラストを使ったりしながら、分かりやすく相手に伝えられること。また「頓服」や「寛解」という医療用語を使わなくても、その言葉の意味を説明できること。さらに、相手が家に帰って自分でも調べられるように正式な用語を伝えたとしても、日常的な言葉でその現象を置き換えて、平易に説明できること。そんな、どんな場面でも分かり易い説明ができることが、全ての医療者に求められていると思います。
現代は、医療を受ける側が難しくて重要な意思決定を迫られる時代です。また医療自体が高度専門化し、複雑になっています。さらに情報化が進み、玉石混交な情報があらゆるメディアから入ってきます。だからこそ、全ての医療者は、目の前にいる相手に対してどんな状況でも分かりやすい説明を行えることが、これからますます必要になってくるのではないでしょうか。
数年間で急激に市民から医療者になる学生たちには、「分かりやすい説明が得意です」と言えるようになってほしい。「頓服」や「寛解」という言葉をいきなり教員に言われて戸惑った低学年の時の思いを、忘れないでほしい。そして、すべての医療者が「分かりやすい説明が得意です」と言えるような社会になってほしい。自分もそこに、少しでも貢献したい。
少々大きなことを書いていますが、急激に成長する学生たちに様々なことを気づかされ、教わりながら、私自身が、「分かりやすい授業って何だろう?」と自問自答する教員3年目の春を迎えています。