看護師から治験コーディネーターになった経緯
看護師として外科病棟、集中治療室、腎臓内科外来などでの15年の臨床経験があります。腎臓内科で勤務していた時に、ある大規模臨床研究をリサーチナースとしてお手伝いする機会があり、そこで治験コーディネーター(以下、CRC)という役割の仕事があることを初めて知り、治験の世界に入りました。
♪治験コーディネーターのお仕事
私たちCRCは、治験に関わる業務をしています。治験というとなんだか難しくて、よくわからないという方が多いと思います。 人間は生きていく過程で、さまざまな病気にかかり、医療によって治療します。現在、世の中にある薬や医療機器などは、その安全性、効果、予測される副作用などが臨床試験によって科学的に証明され、信頼されたデータをもとに厚生労働省が承認し、販売されています。薬や医療機器が承認されるまでの臨床試験の時期を治験といいます。
ここでは、薬が誕生するまでを説明します。薬の候補が発見され(基礎研究)、動物実験(非臨床試験)、ヒトに対しての臨床試験(第1相、第2相、第3相試験)と段階的に構成されています。安全性や効果を確認しながらすすめられ、1つの薬を承認されるために10~20年と長い年月が必要となります。年月をかけても承認されるお薬はわずかで、多くの治験薬は途中で開発中止になります。薬が承認されることはとても難しいのですが、病気を治療するために新しい薬、医療を待ち望んでいる患者さんのために治験はとても重要なのです。
治験は、病気で治療されている方を対象にしているので、臨床現場で実施されます。試験的な側面があり、通常診療とは違います。治験薬とプラセボ(偽薬)との比較試験であったり、無作為に治療群に割り付けられたりするため、患者さんからは「人体実験?」と質問されることもしばしばです。
治験の歴史には、信頼性の低い臨床試験や、倫理に違反する不幸な時代もありました。1964年、世界で被験者の安全と人権を保護することが提唱され、1980年以降にはさまざまな基準が制定されました。現在、GCP(ジーシーピー)(医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令)という規則のもとで、治験を実施しています。これにより、科学性・信頼性・倫理性も確保可能になった反面、治験実施の負担は大きくなり、治験を実施すること自体が困難となる懸念も否定できません。臨床現場で円滑に治験業務が遂行できるように専門的知識を備え、実務の補助をするためにCRCが誕生しました。CRCが誕生してから、先輩CRCは多職種の各関係者とともに智恵を出し合い、今日のCRCのあり方を築いてきました。看護師だけではなく、薬剤師、臨床検査技師など他の職種の資格の方もCRCとして活躍しています。
どのように治験を実施するかを明確にするためには、治験ごとに治験実施計画書(プロトコール)が作成され、CRCはこの内容を把握して、業務を遂行しなければなりません。
仕事の内容は多岐にわたり、一つの治験を立ち上げるための準備(治験で必要な書類の準備)、製薬会社・担当モニターとの交渉、施設スタッフ向けのミーティングの設定、被験者リクルートの補助、治験参加中の被験者・家族のケア、担当医師、責任医師の業務サポート、治験で必要な原資料の整備、検体の準備・発送やデータ入力などなど、医療ケアに限らず、事務的な業務なども含めて、実に様々です。♪コーディネーターの魅力
CRCの仕事は医療施設内の患者さん対応に限らず、一つのプロトコールを中心にし、製薬会社スタッフや、担当モニターや海外の検査会社などと協力し、世界の治験参加施設と一緒に仕事をしていることになります。一つのプロトコールを手にし、白紙に近い状況からスタートします。もちろんCRCだけでは到底できない事柄もあるため、相談できる担当モニターや製薬会社の方と密に連絡をとりながらすすめます。世界の一端を担っていると思うと、緊張感と使命感と責任を感じます。
医療施設では、患者さんや医師、看護師、検査技師や放射線技師、薬剤師などのスタッフ事務局に協力いただかないと治験は成り立ちません。協力を得るということは人を動かすという事ですが人は、目的意識がないと主体的には動きません。スタッフのプロ意識を引き出し、患者さんについても目的意識をもって主体的に参加いただくことが一番大事な要素になります。プロトコールは治験によって様々な内容であり、複雑で難しい文字ばかりが並びます。難しそうで面倒くさいというイメージをまず払拭しなければなりません。
書類の文字をいかに臨床現場で具現化して、行動レベルまで解釈し説明できるか、CRCの創造力と工夫が求められます。丁寧に説明し理解していただくことで、相手が自分の使命ととらえ、行動にイメージできることが鍵となります。求める結果は同じでも、アレンジは個々のCRCによって様々です。
立場は違えど、問題解決に向き合い、お互いのやり取りによって、自ら参加しているという気持ちになり、目的意識を一つにして個々の"らしさ"の備わったチーム力を育んでいく、この不確かなものに挑戦する一体感が仕事の魅力だと思います。♪臨床経験した看護師CRCだからできること
看護師の経験から、実際の臨床の現場に則した運用手順を構築するのは得意で、すでに関連する各部門のスタッフとの関係性もできていれば、相談や各部署からの要望、手順の見直しなどに関しても率直に意見を出してスムーズに治験を進める環境を作り上げることができます。 患者さんに対しては、患者さんの個性、社会的背景、家族背景、生活パターンや合併症などから予測されるリスクあるいは問題点を見出し、治験薬の服薬指導やご協力いただく手順の指導など、看護師ならではの経験が活かされると思います。補足的に生活指導、健康指導や食事指導も含めて包括的に指導することもできます。不安を感じている患者さんには、臨床知識から予測される説明を補足して、不安を軽減するサポートができます。経験から導かれる言葉には力があり説得力があります。患者さんの訴えや検査データの異常に早めに気づき、優先順位やその後の展開も予測できるので、医師や患者さん、関連部署との連携を的確かつ迅速に対応できます。
データについても欠測がないように、陥りやすいミスについて事前に対策をとり、患者教育に工夫したり、スタッフへの伝達方法を確実なものにしたりするリスクマネージメントにも経験を活かすことができます。
ほかにも、製薬会社から提供されるプロトコールについて、臨床の立場から実践が難しい点を指摘したり、検討会での意見を求められることもあります。患者さんにより近い立場から、プロトコール作成や治験運用にも重要な役割を期待されるでしょう。
♪やりがい
治験薬は承認前の薬であるため、安全性や効果、副作用については確証がありません。成分により理論上は予測できるかもしれませんが、患者さんの安全を念頭に、臨床の経験から得られた看護師ならではの観察力と洞察力、ときに決断力、行動力、交渉力を充分に発揮することを求められます。医師と綿密に連絡し、安全に治験が遂行できるように精神を集中します。 患者さんは創薬ボランティアとして勇気と覚悟をもって治験に参加していただいています。治験に参加してから、治療薬の効果があり喜ぶ方もいれば、辛い病状を抱えながら効果がなく戸惑っている方もいたり、予期しない有害事象が発生し、治験中止になることもあります。そのような患者さんや家族の心の動きに添い、共に喜んだり、悩んだり、中止を決断したり...。プロトコールに記載のない場面で、CRCの介入は重要で、とても貴重な時間を共有します。患者さんとは、治験が終了したあとでも、ともに闘った同志という不思議な関係が生まれます。 治験に参加することによって、明らかにQOLが改善して社会復帰している方や病気で進学を一時はあきらめていたお子さんが立派な社会人になっていく姿をみていると感慨深いものがあります。治験薬が承認された際は、新しい薬を待ち望んでいる患者さんのもとへ届ける使命を全うしたという達成感があります。大げさに言えば一つの薬の歴史に参加できたと自己満足しています。 看護師時代で学んだ疾患以外にも、他の疾患の治験薬を担当することもあります。加えて、グローバル試験では英語も必要になりますし、悪戦苦闘しながら、毎日の勉強が続きます。 昨今、研究やデータに関する不正ニュースが多く、この分野に関して厳しい目が向けられています。私たちは、正義とは何かということを常に念頭にいれて、精度の高いデータを収集し、新しい薬の開発に迅速に対応していかなくてはなりません。 情報社会の発展とともに、医学は日々めまぐるしい速さで進歩し、多様化していきます。治験環境もそれに合わせ変化していきます。治験に限らず、臨床研究でのCRCの専門性が求められ、これからもっとニーズに育つと分野だと予測されます。 「治験」をこわがる方もいます。しかし、新しい薬、新しい治療のためには、「治験」は、なくてはならないプロセスです。 一人でも多くの方に「治験」を知っていただいて共に働く仲間が増え、医療がより発展することを願い、日々頑張っています。