小さかった時にワクチンを打たれた時の怖かった思い出、泣いた思い出、痛い思い出?
私が予防接種に関心を持つようになったのは米国でナースとして働いていた時、「日本は感染症の輸出国」と言われていたことがきっかけでした。ちょうどそのころ、日本人が持ち込んだ麻疹が地元でアウトブレイクを起こしたのです。医療の先進国である日本がそんな風に言われるなんて、心外でなりませんでした。たまたま私の近い存在の人たちが感染症の専門医だったり、予防接種の勉強にいらしている疫学の先生だったり、徐々に日本の予防接種を取り巻く現状、「ワクチン後進国」と呼ばれる所以を理解するようになりました。
日本に帰国後、その当時はまだヒブワクチンや小児用肺炎球菌ワクチンが定期接種化される以前でしたので、これらのワクチン接種をしなかったために髄膜炎に罹患し重い障害が残る方がおられました。「ワクチンがあると知っていたら子どもに打たせていたのに。」そう言って泣き崩れるご家族を前に、こんなことを言わせてしまっている保健医療従事者の責任はなんて重いんだと胸が苦しくなる思いでいっぱいでした。
それから、「ワクチンで予防できる病気で苦しむ人やそのために悲しい思いをするご家族を一人でも少なくしたい」という思いがとても、とても大きくなりました。
医療の発達とは反比例に、ワクチンのおかげでどれほど多くの病気が予防できているのか、その効果がほとんど目に見えなくなっています。一方で、ワクチンによる副反応はすぐに取りざたされフォーカスされます。ワクチンのリスクを過大評価し、ワクチンで防御できる感染症のリスクを過小評価されているのが現状です。リスクとベネフィットを考えた場合、予防接種をした場合としない場合では、したほうが得られる利益は遥かに大きなものです。偏った情報に左右されずに私たち医療従事者は本質を見極める目を持ち続けることが求められています。
国のワクチン制度の改革と同時進行で、医療従事者に対する正しい理解の普及やワクチンに関する情報の周知、一般の方々への教育を通じて、ワクチンという素晴らしい手段をどうやって共有していくかを広く情報提供する必要があると思います。これからはもっと大きなビジョンでワクチンを考えていく必要があるのではないでしょうか。そのために接種者や保護者への直接的な教育にとどまらず、教育機関や医療機関への教育、疫学的介入など、今後、看護職に期待される役割は大きいものと考えます。