この春に母がなくなったことを機に、この頃は、看護学生の頃に繰り返し教えられてきた「患者さんの全体像をとらえなさい。全人的に看護しなさい。」という言葉を繰り返し思い出します。そして、病院の中で起きていること、看護師や助産師として見ている事象は、目の前の患者さんや産婦さんの人生の一部分であり、その後の人生にも様々な影響を与えていくのだろうと、改めて考えています。
かつては学生だった私も、今では看護学(助産学)を教える立場となりました。学生時代には、患者さんの全体像をとらえるということがどんなことなのか、深く考えたこともなかった(あるいは、全体像をとらえた気になっていた)ように記憶しています。それから15年程経ちますが、様々な患者さんや妊産褥婦さんとの関わりがありました。私生活では、2人の子どもを出産し、育児に翻弄される毎日といえます。
助産師になってからは、私が生まれた時の話を、母によく聞いていたように思い出します。そして、今だったら、私の弟や妹を生んだ時、何を悩みどう育児してきたのかを聞いてみたいと切に思います。でも、話したい時に母はいないのです。母親が亡くなったと話す産婦さんは、サポートが得られないだけではなく、育児の折に寂しい気持ちを抱いていくのかもしれないなと、日々感じています。
私の母は、25歳で私を生み、3人の子どもを育ててくれました。母は、関節リウマチを患い、亡くなる前の5年くらいは病院で寝たきりの生活でした。最後は、いつもすごしていたベッドの上で息を引き取ったと聞きました。遠方に嫁いだ時に、覚悟していたことではあったけれど、死に目に立ち会えないというのはなんとも言えない虚しさでした。
「最後の言葉は何だったんでしょうか?」と、看護師として聞かれた場面が幾度かありました。あの時、自分は何と答えたのだろうか、詳しく思い出せません。そして、それはご家族にとってほしい答えだったのだろうか、適切な答えだったのだろうか。私はうまく思い出せないけれど、残された家族にとって、それにはとても重要な意味があったのだと、改めて感じています。私の発した言葉は、今でもその家族の胸に残っているのかもしれません。
これまで出会った患者さんや産婦さん、そしてその家族は、数えきれない程たくさんいます。関わりのあった方々やその家族にとって、病院で過ごす期間は人生の一部分ではあったでしょう。ですが、新たな家族の誕生、大切な人との別れ、初めて体験する身体や心の痛みなど、到底1人では抱えきれない体験をされていています。皆、病院の外に出た後も、それらの体験と共に人生を歩んでいく。このような感覚を持ってこそ、患者さんを全人的に看護できるすべがみえてくるのかもしれないなと考えています。そして、そのすべは、今でも模索し続けています。たった一言、だけど深い看護の視点だなと思います。