私は看護師という仕事がおそらく大好きだ。ただ「好き」なのではなく「大好き」だと思うのは、改まれば看護師の仕事をしている自分を幸せに感じるからである。また「おそらく」を付加するのは、人は嫌いなものは明確に「嫌い」と認識できるものだが、好きなものは意外と「好き」と認識しないだろうからである。
私が看護師であるのは、免許を持っているからではなく、患者さんとの出会いがあるからである。どの仕事も人と出会わずにできるものはほとんどないと思うが、私は「患者さん」と呼ばれる人たちと出会う中で看護師になってきた。私が看護師でなければ、その患者さんとは出会っていない。患者さんは、親戚でもなく、友達でもなく、看護師と出会っているのだ。
それは、看護学生でも同じで、実習で患者さんに出会ったときからはじまる。学内でいくら演習を行っても、それを味わうことはない。患者さんは、何にもできない看護学生だとわかっているだろうが、日常では曝すことのない姿を曝し、心身を委ねてくれる。これには応えなければならない。ある日、訪問診療に同行して、ALSの患者さんに初めてNGチューブの挿入をさせてもらう機会があった。なかなか1回で入りにくいそうなのだが、1回で挿入できた。患者さんが視線の文字盤を使って、ご家族が通訳して、フィードバックをくれた。1回で最小の苦痛で挿入できたのは「素直だったからだよ。」とのことだった。一生、忘れない。
多くの患者さんが、本当にいろいろなことを教えてくれて、今の私がいる。このエッセイを書くにあたり、おひとりひとりのさまざまなエピソードが想起され、別のファイルに書き留めてみた。夜、寝ようとすると思いだす患者さんもいて、メモをとった。つらい思い出もある。まだまだ応えきれないところばかりだが、ひとつひとつ真摯に受け止め続けたい。私本位だが、これまでに出会った患者さんもこれから出会う患者さんも、ありがとう。