新型コロナウイルスの感染の広がりは、看護教育にも大きな影響を与えています。看護の現場や社会の状況に合わせた実習や演習、講義が模索され、実施されています。直接的な支援やケア、五感を通した観察にあらわれる看護の特性を、私は改めて実感しました。
看護職を目指す学生さんにも不安は少なくないかもしれません。自身の健康を守りながら、技術と知識をきちんと身につけることができるのだろうか。そういった不安は、看護職になるということに真剣に向き合っている証左だと思います。
私はけっして、看護を学ぶことに積極的な学生ではありませんでした。大学卒業後には看護職として就職するという選択肢を、私は早々に手放しました。色々と寄り道をしてから、大学病院で看護師をする経験を得たのは卒後4年目になってからです。そして看護師として就職した後にようやく、学生の頃の体験が重みを増したのです。
小児看護学実習の時のことです。受け持ち患児のAちゃんのご両親はとても多忙で、お母様とは一度も会えないまま実習を終えることとなった私に、お母様宛の手紙を書くよう実習担当だった先生は勧めてくださいました。Aちゃんを受け持たせていただいたことへのお礼と、2週間Aちゃんと楽しく過ごしたこと。拙い私の手紙はそんな内容でしたが、先生は、Aちゃんとご両親、家族にとっては依然苦しい2週間であること、その苦しさは私が実習を終えたところでしばらく続くであろうことを語られました。
私は未熟な学生だったので、Aちゃんが置かれた状況の深意までには思い至りませんでした。実習を終えて何年もが経ってから、先生の言葉を何度も思い返しました。様々に活躍する看護職の先輩方とは違って、もとより私に何かができるとは思えません。それでも、患者さんの、家族の人生があり、あるいはまだ患者さんでない人、患者さんであった人の社会の営みがあり、そこで看護ケアが必要とされるならば、できることをするしかないと思いながら、ベッドサイドで働いていました。
"色々と寄り道"をしているあいだには、法学の大学院で学んでいました。看護と異なるバックグラウンドを持つクラスメイトや教員と関わる日々は新鮮であり、看護と異なる方法で人や社会を支える方法を私は知りました。もう一度看護の道に戻るよう促したのは指導教官です。看護の中で法学が扱われることはまだ少ないから、学びが活かされるかもしれない、と。それはもしかすると、看護学生の頃に私が学び残したことだったのかもしれません。
このような状況下にあって、私は再三、先生たちの言葉を思い出します。困難を来す人々と社会、看護職の活躍を見て、きっと学生の皆さんは私よりもずっとたくさん、これまで学んできたことを思い返すことができると思います。鋭く柔軟な感受性でもって、一見看護とは縁の無さそうなことも、誰かの人生に寄り添い、社会の営みを支えるのに無くてはならないのだとも気付くでしょう。
平素当たり前にできていたことができなくなってしまった、そういった学生生活かもしれません。けれど、これまで培ってきた学びが無くなるわけではありません。従来と方法は違っても、多くの気付きや体験を掴むことができるはずです。不出来な看護学生であった私ではかないませんでしたが、現在の看護学生の皆さんには、今日のこの日にも、看護職になるための一歩を進んでほしいと思います。