5月12日はナイチンゲールのお誕生日、この日は「看護の日」ですね。ナイチンゲールといえば、一般の方々にも看護を象徴する人として知られていると思います。私にとってナイチンゲールといえば・・・
何といっても「ナイチンゲール遺跡視察旅行」です。
1980年、郷里の公立病院で内科病棟の看護師として働いていた私に、母が「日赤の小林清子先生がナイチンゲール記章を受章されて、記念のヨーロッパ旅行があるけど、行ってみる?」と言いました。小林清子先生は、母には日本赤十字社幹部看護婦研修所の恩師で、私が聖路加看護大学(現聖路加国際大学)に入学したころは日本赤十字中央女子短期大学の顧問も兼務されておられました。入学間もなくの私を、歌舞伎座の観劇に連れていったり、銀座で天丼をごちそうしたりしてくださいました。卒業式にもいらしてくださり、優しい小母様といった感じで、偉い人だとは意識もせず甘えました。
その小母様と一緒にヨーロッパへ?そりゃぁ行きたい!と、ようやく2年目スタートの若輩が、図々しく2週間のお休みをもらい、1年目のお給料で貯めた貯金をすっかり吐き出して、参加しました。
成田国際空港はオープン3年目、1ポンド=560円、1ドル=250円のレートでした。旅行は日赤同窓会が企画、1980年4月26日からの11日間で、添乗員さんを含め総勢11名のこじんまりしたツアーでした。さすが日赤の企画! 通常は入れないスクタリの陸軍病院(写真撮影禁止!)やイスタンブールの赤新月社の看護学校、ジュネーブの赤十字国際委員会などを訪問しました。もちろん、フィレンツェの生誕の家、ロンドンのセント・トーマス病院、一族の館(エンブリー・パーク私立高校になっていた)、ハンプシャー州の聖マーガレット教会のお墓(写真3)と、要所はきっちり!
日赤同窓生でもなく最年少の私が、ナイチンゲール記章受賞者のツインルーム相方になったのは、他の参加者では恐れ多くて眠れないという判断だったのでしょう。皆さんの思惑どおり、私は前後不覚に眠り、旅の秘訣をあれこれ教わり、ロンドンのホテルではデリカテッセンで買い込んだ食べ物とワインでパジャマパーティーという、とっておきの楽しみ方まで教わって、旅を満喫したのでした。
その時のアルバムを見ると、人生初の海外旅行が生き生きと蘇ってきます。ナイチンゲールの考え方をたどる方は、メモも記憶もさっぱりなし(苦笑)。
今回、ナイチンゲールの「看護覚え書」を大学図書館で借りて読み返してみました。日本では、看護を学ぶ人が一度は読む本でしょう。私ももちろん読みました。学生の頃は課題として、臨床に出てすぐの頃にも読み、10年ほど前までは本棚に置いていました。
なぜ、学生時代や若かった頃は、あの本に満載の看護の原点・本質を軽くスルー(常識じゃん?くらいの不遜さで)していたのか!! 読み返して、一番驚いた発見でした。
あの本が書かれた時代背景や風俗などを、差し引いて読む力がなかったことが原因だと思います。時代に左右されない大事なこと=本質を見分けることができなかったことに、ようやく気付きました。専門職としての経験が本質に近づけてくれたのも事実でしょう。一方で、白髪とともに増えた人としての経験が、見分ける力を育ててくれたのだとも感じました。
看護を学び始めた新入生さんたちは「看護覚え書」を読んでいる時期かもしれませんね。コロナ対策の一つ、換気の必要性をナイチンゲールは繰り返し言ってるんだ!なんて、気づいた方もあるでしょう。もし、この本を買ったら(買わされたら?)、捨てずに持っていることをお勧めします。最初は陳腐に思えることも、原点に帰ることを教えてくれる時があるのではないかと思うのです。 若い頃と年齢を重ねた今の私にとっての、ナイチンゲールといえば、でした。