タンザニアの助産師から学んだこと

2022.08.01
五十嵐由美子
  • 2022/08
  • 看護師/助産師:五十嵐由美子

 私は、大学卒業後大学病院で助産師として10年近く働いてきました。日々の業務の中で、良い助産ケアとは何なのか悩むことも多くありました。産後のお母さんに育児の方法を獲得してもらいたいと思い、一つ一つ抱っこの方法、おむつ交換の方法などを説明しても、なかなか上手くいかず、有効な支援ができていないと感じることがありました。

 もともと、他の国や地域の看護師・助産師が、どのように考え働いているのか興味があったこともあり、大学院へ進学し、タンザニアの病院で1年9ケ月助産師として活動する機会をいただきました。

 タンザニアではとても驚くことばかりでした。分娩室では基本的に産婦さんは一人で痛みに耐えていました。助産師は呼ばれたらチラッと見に行くか、声をかける程度で、叫んでいると「静かにしなさい!」と一言。そろそろ分娩だというころになると助産師が現れ、鮮やかな手つきで児を受け取り、縫合も助産師が行なっていました。産後は、ほとんど授乳指導ということはなされておらず、産後のお母さんは誰に教えられなくても自然と子どもの世話を始めていました。自分の考えていた看護というものの存在が揺るがされるような気持ちになりました。看護とは何かという問いを常に考え続ける日々でした。これは決してタンザニアの看護師・助産師が看護をしていないということではありません。日本・タンザニアの双方に異なる良さがあり、互いにそれを学び合うことが必要なのだと思いました。

 タンザニアでの経験を通して気がついたことは、産後のお母さんが自ら考え、上手くいかなかったとしても自分なりに工夫しようという体験が非常に大切だということです。子どもへの対応は、これが唯一の正解というものが明確にはありません。子どもの反応を見ながらその時の最善を考えていく必要があります。日本での自分のケアを振り返って、母親にとって本当に必要な経験を邪魔していなかったのか、転ばぬ先の杖になりすぎていなかっただろうかと思いました。本当に心が痛いことですが、相手のためだと思いこんで、実は自分がやりたいケアをしていただけではないのかと反省しました。相手が持てる力を最大限発揮できるように関わること、それこそが看護にとって重要なことだと改めて感じました。

 また、医療の発達に伴う問題の存在も感じました。医療が発展したことで救われる生命は多くありますが、従来自然に行われてきた母子の相互作用が妨げられてしまうこともあるのではないかと感じました。だからと言って医療が発達しない方がいいということではありません。タンザニアでは、目の前の命を救いたい、そのためにもっと医療が整備される必要があると感じることも多くありました。必要な医療を行いながら、人間としての自然な在り方を保てるように必要な介入を行うことが看護の役割として大きいことだと思いました。ここでの気づきが、今の私の研究活動にもつながっています。

 助産師になってから、今までずっと妊婦さん、産婦さん、産後のお母さんとその家族に対して、自分がより良いケアを提供したいと思って追求してきたように思います。しかし、大学院での学びやタンザニアでの経験を通して、同じ思いを持つ人々の活躍を支援できたらとより強く思うようになりました。ご縁をいただき、今年から看護・助産教育に携わらせていただくこととなりました。まだまだ未熟者ですが、自分が出来ることを少しずつ頑張りたいと思います。

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