満月と山

2022.11.01
瀬戸屋 希
  • 2022/11
  • 看護師:瀬戸屋 希

 学生の頃、パキスタン北部の山あいにあるフンザという村を訪れた。カーブの続く山道を、満員のミニバスで一晩かけて辿りついたのは、標高7000m級の山々が青空に映える小さな村で、水道水は氷河の雪解け水で白く濁り、風が吹くと木々の揺れる音が聞こえる、静かな場所だった。

 ある晩、夕飯を食べて宿に戻る途中、村の一本道の真ん中に、3人の男性が同じ方向をむいて椅子を並べて座っていた。何かを話すともなく、当然のようにそこに並んで座っている、そんな雰囲気があった。聞くと、「今日は満月だからね」と言う。お月見をしているのだと思い、視線を上げると、そこに月はなく、満月に照らされた山が、白く淡く光って浮かび上がっていた。青空の下で見た山の様相とはまったく違う、静謐さと荘厳さを湛えた山の姿に言葉を失い、山とともに暮らす人々の思いを感じた時間だった。

 私は精神看護学を専門としている。こころの健康に関する分野で、学生さんからは「人のこころは目に見えない、分からない」と言われることも多い。自分でも、患者さんやご家族はどのように感じているのだろう?言葉の奥にどんな思いがあるのだろう?私の言葉はどう伝わったのだろう?と迷うことがたくさんある。

 この「目に見えない難しさ」を感じる時、満月に照らされた山の様子を思い出す。山をしばらく見ていると、時間と共に陰影や明るさがゆっくり変化し、月の動きを感じることができる。毎月見ていれば、季節による変化も感じることができるだろう。

 心は直接見えなくても、表情や会話、食事や生活、家の様子、いつもと違うなといった感覚から、体調や気持ちの変化を捉えることができる。分からないからこそ、本人との対話を大事にし、自分が捉えた様々な情報と言葉を繋ぎ、周りの人と共有しながら理解しようとする。その過程は、精神看護学の醍醐味の1つであると感じている。見えない難しさが、「分かろうとすることは面白い」に変わっていく時間を、学生さんやケアに関わる方々と、共有していけたら嬉しく思う。

 今年、11年ぶりに教員として働く機会を頂き、社会や大学、人との繋がりが大きな変革の中にあることを実感している。精神看護学の領域ではこの10年で「リカバリー」という考えが広く認識されてきた。様々な困難を抱えながらも、その人が自分らしさを取り戻し、人生の主人公として進むプロセスを意味する。看護師が必要だと思うケアを一方的に行うのではなく、ご本人の思いに耳を傾け、共に考えることがリカバリーの支援に繋がる。

 月を愛でていた3人のように、まずは隣に座り、患者さんやご家族、学生さんや同僚と、同じ方向をむくことを大事にしていきたいと思っている。

看護コミュニティ

ページ評価アンケート

今後の記事投稿・更新の参考にさせていただきたいので、ぜひこの記事へのあなたの評価を投票してください。クリックするだけで投票できます。

Q.この記事や情報は役にたちましたか?

Q.具体的に役立った点や役に立たなかった点についてご記入ください。

例:○○の意味がわからなかった、リンクが切れていた、○○について知りたかったなど※記入していただいた内容に対してこちらから返信はしておりません

最大250文字