精神科で働くということ

2024.09.01
森田 康子
  • 2024/09
  • 看護師(精神看護):森田 康子
 

ーどうして精神科を選んだんですか?

 内科病棟の看護師を経て単科の精神科に入職した私は、「精神科」を支えようとする人々がどのような思いでそこにいるのか、とても興味があった。私が精神科に関心を持ったのは大学を卒業して既に7年が経過しており、学生時代に自分が精神科で働くとは想像もしていなかった。私はその7年の間に、心の問題を抱えながらも社会生活に奮闘する方々の困難や苦しさ、心の問題への対処のしにくさを知り、それに比して利用できる支援が物足りなく感じるようになっていた。身体疾患に対する地域支援の発展とは比べ物にならないように思え、一体、精神科では何をやっているんだろう?そんなことを考えて精神科の門をくぐった。そのためここに集う人々は一体なぜここにいるのか、それを訊いてみたかった。

 すると、精神科には様々な理由で集うスタッフがいた。精神科らしい関わりに魅力を感じる声、勤務条件を挙げる声、検査値では表せない困難を支えることにやり甲斐を感じている、といった声もあった。そんな中、「ここでしか私は働けないから...」と表現する方がいた。孫の世話にも飛び回る快活な先輩准看護師だったので、年齢や正看護師ではないという部分での謙遜なのかと感じられた。彼女は軽やかによく笑い、公私の小さな喜びを分かち合ってくれた。私以上に私の体調に気付いたのも彼女だった。彼女の愛嬌と観察力、等身大で喜怒哀楽のある人間味豊かな関わりには自然と素直な気持ちを呼び起こされ、スタッフ・患者を含めた病棟全体の人と人とを繋いでくれているようだった。人と人とが繋がっていくための根底には、素直さや温かさがあるのだと知った。

 そして、「精神科が、私を一番成長させてくれたから」という言葉も印象に残っている。精神疾患という困難を抱えての立ち居振る舞いに、病気と理解していても周囲は心を乱されることがある。支援者であっても然りで、無防備にいては自分の立場や役割を見失いそうになる。自分を含めて対人関係を俯瞰し、何が起きているのか、何がそうさせているのか、考えを巡らせる。そして、とある言動に左右されているのは自分だけであったりすることに、ふと同僚の反応を見て気付いたりもする。そんな風にして自分独自の感じ方があることを知り、同僚の助けを得ながら、あるいは先輩の背中を見ながら、治療的関係を壊さない自分らしい関わり方をその都度模索していった。コミュニケーション能力が高くないと精神科では働けない、というように思われることがあるが、元々持っている資質というよりも、看護技術の1つとして研鑽を積む環境に置かれた結果なのだろう。

 そして、技術だけではなく自分自身も変化したように思う。私のイメージする「こころ」とは、高校生の頃は強化ガラスのようなものだった。入ったヒビは消えず、いつか砕け散るおそれがあると思っていた。大学の友人はそんな私に「発酵したてのふかふかのパン生地」というイメージを教えてくれた。あまりの違いに当時は面食らったことを記憶しているが、今ではほんのり温かくて弾力のある「こころ」をイメージできるようになったことを思うと、やはり私も精神科での出会いによって成長させてもらったと感じる。

 精神看護に従事するようになり、特に意識するようになったことの1つを最後に紹介したい。それは、吉野弘さんの詩の一節にある、「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい」1)という言葉に集約されている。指導的な看護を考える時、あるいは普段家族や仲間に接する時、それは誰にとっての正しさなのか、うっかり身勝手な正義の剣を抜かないよう、まだまだ精進していきたい。

 

1)吉野弘. (2003). 二人が睦まじくいるためには. 童話屋.

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