白衣と迷彩服の間で重症な患者さん・ご家族への看護と向き合う

2025.02.12
山本 加奈子
  • 2025/02
  • 看護師、集中ケア認定看護師、急性重症患者看護専門看護師:山本 加奈子

 私は数年前まで自衛隊の看護師でした。普段は病院で働きますが、時々山に訓練に行ったり、災害などの有事の際には国内外に派遣されます。白衣をきたり迷彩服や制服を着たりして働くちょっと特殊な看護師でした。看護学生時代の臨地実習の経験から、クリティカルケア看護、すなわち集中治療室のような場所で治療を受ける重症な患者さんやご家族の看護を実践したいと希望していました。新卒の頃は、念願だった集中治療室に配属され苦しいこともたくさんありましたが、患者さんの回復が目に見えて感じられ、できることも少しずつ増えていくことを経験しながら充実した日々を過ごしました。しかし、4年目になると幹部自衛官になるための訓練に行かなければなりません。当時、長谷川京子さんに憧れてロングのふわふわパーマで浮かれていた私ですが、規則のため耳だしショートヘアになり、福岡県で6週間過ごしました。この6週間は私の人生で一番大変で苦しい日々でした(しかしこのおかげで、出産時の陣痛の痛みもあの時に比べれば・・・と思い乗り切れました)。

202502yamamotokanako2.jpg 重たい小銃と防弾チョッキをつけて山を走らされたり、福岡県から佐賀県までのどこかの山を何10kgもある荷物を背負って夕方から朝まで歩いたりしていました。毎日苦しい日々で「もう嫌、もう無理・・・」何度も口にしていましたが、その度に教官に「自分の限界を自分で決めるな!」と言われていました。当時は、「もうほんとうるさい!」と聞こえないふりをしていました。しかし、この言葉は5年目以降の私にとって大事な言葉の1つになりました。

 5年目以降、私は職場の勧めで集中ケア認定看護師の資格を取りました。そして、集中治療室での看護実践の質の向上だけでなく、チーム活動を立ち上げたり組織横断的な活動を精力的に行いました。集中治療室で治療を受ける患者さんの治療や看護ケアには明確なエビデンスを持たないものも多いのです。これは本当に患者さんにとって良いケアなのか?をいつもチームで話し合いながら、また専門性を持つ看護師として自分に問いながら実践をしていました。年を重ね、経験を積むといつしか今まで前を走ってくれていた先輩がいなくなり自分が先頭を走っていることに気づく時があります。これで大丈夫なのかな?、ベストなことができているのかな?と心配になったり不安になることもありました。しかし、「自分の限界を自分で決めない」ことを土台にして、もっと良いケアはできないか、患者さんをはじめ医療チームの最大限のパフォーマンスを引き出すことを目標に実践を進めることができたように思います。10年目になり、自分の看護をきちんと言語化したいと思い、急性重症患者看護専門看護師の資格を取りました。集中治療室から救急外来へと働く場所を移し、その後、縁あって聖路加国際大学で教員となりました。教員になった今も、この考え方は学生教育や患者さんのケアに関わったり、研究を進めたりする上で大きな土台として私を支えてくれており、実践しています(そのつもりです)。今は、病院で働いていた頃から大事にしている「患者さん中心の意思決定支援」に関連した研究を行っています。集中治療室で治療を受ける患者さんが自分らしい生き方を意思決定できるように、また患者さんのご家族にとっても納得できる意思決定になるように、エビデンスにつながる研究をこれからも行っていこうと思います。

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