▲入院中の父が突然、幻覚・記憶喪失に。せん妄を患った父親の介護体験記
この体験記は東京で働くみち子さんが実際に経験された介護体験記です。
みち子さんのお父様は入院中に突然、幻覚症状や発作のようなものが起き、ついには記憶までも失う症状に陥ってしまいました。しばらくは原因も分からず、みち子さん、そして2人の娘さんも、手さぐりの状況で必死に介護を続けました。

このみち子さんの介護体験記に、専門的視点から看護師が解説を加えて、
入院中の高齢者に起きやすい「せん妄」という症状、そして介護者が認識しておくべき情報をわかりやすく説明しています。
患者 Yさん(大正7年11月21日生まれ)
家族 みち子さん(長女・50歳)、Yさん(孫・22歳)、Mさん(孫・12歳)
今年87歳になる父親は、糖尿病の持病はあるが、健康な毎日を過ごしていた。
趣味は社交ダンス・ビデオ撮影・海外旅行。それまで近所のかかりつけ医には、通っていたが、2005年10月に、吐き気と、高血圧、むくみなどの症状でA病院を紹介され、即入院。入院後、心筋梗塞、腎機能の低下、糖尿病の悪化が見られ、心臓カテーテル検査とステント手術透析の為のシャント手術インシュリンの定期的な投与が行われ、順調に回復した。11月退院。1日おきの透析をしながら、自宅での生活に戻った。
12月1日<入院2日目>
透析の際、白血球の急激な減少がみられ、再入院。骨髄検査の結果は異常なく、薬の副作用によるものと診断された。薬を変えて、白血球がもとに戻るまで、ウイルス感染の恐れがあるので、マスクをかけ、病室から出ないようにと医師から告げられた。

12月2日<入院3日目>
朝、新聞を持って行くと、父の顔色は良かった。ただ「手の震えが出てきたよ」と父が言うので、一応、看護師さんに伝えた。父は10時より透析、3時に病室へ戻った。食事は、普通に食べられた。夜、いとこが見舞いに訪れたが、マスクの着用もあり、早々に帰った。「病気ではないから、おまえも早く帰っていいから」と言うので、私も帰宅。

12月3日<入院4日目>
朝、病室に入ると、普段は文句を言わない父が「なんだか、ずっと音がしている、看護婦さんに止めてもらってくれ」と言った。隣の部屋に重篤な患者さんが入院しているらしく、確かに、心電計の音が「ピッ、ピッ」と定期的に続いている。「大変な様子だから、止めるわけにいかないわ、我慢して」と私。「そうかな、なんだか部屋の中で音がしているみたいに大きく聞こえるよ」と父。
また、手の震えがひどくなって、薬や茶碗を落としそうになった。
夕方、再度病室に。「まだ、音が止まらない、気になって仕方ないよ」と訴えるので、「明日にでも、看護師さんに言ってみようね」と言って帰宅。帰りしなに、「毎日、すまないな」と声をかけられた。

12月4日<入院5日目>
いつものように父の病室に向かうと、ドアが開かれ、慌ただしい空気に包まれていた。中から、大きなうめき声。部屋に入ると、看護師さんや先生が、父を取り囲んでいた。「う〜、う〜、つらいっ、息がすえないっ」と、繰り返し叫ぶ、前や後ろに震えながら身体を動かしている。朝食はとれる状況ではなかったようだ。
「何があったんですか?こんな風に父がなるなんて、初めてです!」必死で看護師と医師に聞く。「とりあえず、調べてみます」と、心電図をとられ、血圧を測り、酸素の値をみる。異常はないと説明された。
医師から「入院中に、こういった症状になる高齢者の方は、多いのです。私達は何人も見ていますが、目つきが変わってきます。原因がはっきりして、それを取り除けば、少しづつ元にもどります」と説明を受けた。
私は、すぐに、隣室の音の事を思い出し、先生に病室を替えていただくよう、お願いした。看護師さんも協力くださって、30分後には病室を替わった。
病室を替わった途端、うなるのも暴れるのも治まった。その代わり、父は饒舌に話をはじめた。「あれが聞こえるか?俺には全部聞こえる。先生の声や、看護師さんの声が、全部わかるんだ。なんで、今まで気がつかなかったかな」
空を指して「あれは、俺の心臓だ。手をつないでみてくれ。お前と手をつなぐとはっきり光るだろう?すごいことだな」声も聞こえないし、空には何もなかった。
夕方、点滴が始まった。食事をまったく摂らなくなった。お腹はすかないと言う。下痢をして洋服を着替えるが、意に介さない様子で、しゃべり続けた。点滴のコードが絡んでいるから、直してくれとたのまれたので、直すと、「そうじゃない、それだと、あのランプがつかない」と暖房を見つめながら言う。点滴と暖房がつながっていると錯覚している様子。
おかしいと思いながらも、部屋を替えて落ち着いていたように見えた。毎週楽しみにしているNHKの大河ドラマをつけたが、まったく興味のない様子。「おやすみ、また明日くるね」と声をかけても、返事はなかった。

12月5日<入院6日目>
月曜日、朝早く病院へ。憔悴した顔で、目は焦点が定まらない。上体を半分起こしていた。声をかけても返事はない。胴体はベッドに拘束されている。柵で囲まれ、ウレタンで囲われている。右手の点滴の上から、包帯が巻いてあるので、すぐに看護婦さんを呼んで事情を尋ねる。昨夜、眠れずに暴れて点滴を抜いてしまったので、包帯を巻いたとのこと。また、トイレの意思表示もないので、紙おむつにしたとのこと。信じられない思いでいっぱいになる。朝食も食べていない。
「気分を変えればあるいは。。」との医師の言葉に、車椅子を借りて、病室を出
る。「う〜、う〜」という唸り声だけは上げているので、病院内をゆっくり回る。エレベータや人がいる場所に行くと唸り声は止む。話しかけながら、ゆっくり動かすが、返事はない。また病室に戻ってくると、いきなり嘔吐が始まった。「う〜、きついっ」と言いながら、嘔吐するが、何も胃からは出ず。昼食は、スプーンで口に運び、入れてやるが、食べる前からゲーッと言って嘔吐を繰り返すので、あきらめる。下痢を何度もおこしているので、おむつを替えるたびにお尻を拭くと、「いたい、いたい」と大声で言う。うめきながら、七転八倒する父の背中を、たださすり続けた。 まるで、子供に返ってしまったようだ。
夕刻、看護師に相談。「どうしたらいいでしょう?元に戻る可能性、ありますか?」看護師は「ご高齢ですからね。ゆっくりもとの環境に戻すことです。ご家族にいらしてもらったらどうでしょう?」とアドバイスをくれた。
娘2人に声をかけた。22歳と12歳の娘たちに、同居する大好きなおじいちゃんの、こんな姿を見せたくなかった。2人は病室に来て、父の手を握ったり、背中をさすってくれた。父はまったくわからない様子で、大声をあげていた。9時過ぎたので、3人で引き上げた。帰りの車のなかで、家に連れて帰って、みんなで看病しようと話し合った。
インターネットで、「入院 精神病 老人 うつ病 高齢者 認知症」などのキーワードを入れて検索するが、該当する症状は出て来なかった。認知症は、たった1日でこれ程悪化することはないようだ。

12月6日<入院7日目>
朝、病院。さらに頬がこけて、目が険しくなっている。娘に午前中たのみ、午後から私に変わった。背中をさすったり、声をかけるが、震えもひどくなっていた。
夕方、医師に「家に連れて帰りたい」と伝えるが、発熱も見られ、点滴もあるので、夜間だけ外泊という形ならと許可をいただく。「お父さん、私よ。わかる?貴方の娘よ。家に帰ろう。」と言ってもわからない。震えてしまってベッドを降りようとしない。やっと立たせても、「うん、うん」と足を動かそうとするが、前に出ない。ガウンを羽織らせて、私と娘2人で抱きかかえ無理に車椅子に座らせ、どうにか地下の駐車場へ行き、車に乗せた。
車に乗ってしばらくすると、音楽にあわせて手拍子を取ることに気がついた。
家に車椅子で連れてあがり、テレビの歌謡曲番組を聞かせると、手拍子をとっている。食事は口元に運ぶが、食べないうちにゲーッと言って嘔吐するので、無理しないようにした。足がとても冷たくなっているのに気がついて、足(膝下)だけお湯につけて洗ってやった。「どう?気持ちいい?」と聞いても反応はないが、おとなしい。クリームをつけて、しばらくマッサージを続け、あったか靴下を履かせた。時々うとうととソファで眠っているようだった。
11時を過ぎ、家族が寝る仕度をはじめると、なんとなく興奮してきた感じで、目が険しくなってきた。ベッドに寝かせて、CD(ヨーヨーマの子守唄)をかけてみた。横に座って背中をさするが、動きが激しくなったので、隣に一緒に寝て、背中をさすってみると、寝入ったようなので私も就寝。
1時間程で、大きな「う〜、う〜」の声に飛び起きる。父がおき上がり、ズボンのあたりを触っているので、トイレへ連れていった。水のような下痢をしているので、パジャマまで汚れている。すべて着替えを済ませ、またベッドへ。「う〜、う〜」と声を上げながら、パジャマを脱ごうとするので、一度全部脱がせてみる。
違うパジャマに替えて着せてみるが、また脱ぐ。脱ぐと、「さむいよ〜」というので、また着せる。5回ほど繰り返しているうちに私が眠ってしまったようだ。
3時頃、また唸り声。ベッドのそばで、おむつまで取ってしまって、裸でうずくまっている父を発見。あわてて、パジャマを着せて、おむつを当てる。また、CDをかけるところから始めた。
明け方6時、私が目がさめると、リビングに這って移動したようで、上半身は裸の状態で倒れていた。パジャマを着せて、それから寝かせるのはあきらめて、リビングのソファに座らせると、安心したようなので支度をはじめ、朝8時に病院へ戻った。

12月7日<入院8日目>
病院で朝食。下痢以外は、血圧も熱も異常なし。血糖値が下がっているので、インシュリンはしばらく止めることに。パンを半分と、サラダ、卵を、少しずつ食べる。疲れたようで、ベッドで眠りはじめるが、眠りが浅く、何度も起き上がろうし、いつもの「う〜、う〜、きついっ」が始まるので、背中をさする。足を揉むと、静かになることに気がついた。10時30分から透析。早めに終わって、脳のCTを撮る。異常なし。白血球ももとに戻っているので、マスクを外す。夕方、朝食べたものを吐く。昼食は食べず。医師と話し合い、今夜も連れて帰ることにした。寝る前に、興奮のおさまる薬を処方してもらうことにした。
6時過ぎ、帰ろうと抱き上げると、足がガクガクとしている。手の震えもすごかったが、立って、社交ダンスの形をとると(父は20年社交ダンスをやっているので)、震えがおさまり、足が前に出る。ボレロを口ずさみながら病室を出ると、歩けるので、そのまま地下の駐車場へ。
娘たちと一緒に自宅へ。夕食には、いなりずしを小さく作り、手に持たせキッチンで見ていると、テレビを見ながら口に運んだ。食べてしまったので、もう1つ渡すと、それも食べてしまった。食卓で、隣に座り、食事を口元に運ぶと、ゲーッとなり、そのまま食事は終了。下痢があるので、お茶を沢山飲ませる。透析でも、あまり水を引いて無いとのこと。体内の水分は高く無い様子で、足のむくみもない。また、足湯をつかわせる。下の娘が行き来する都度、目で追い、何か言葉を出そうとする態度が見られた。夜、落ち着く薬を飲ませ、就寝。この間、何度かトイレでおむつを変える。小水よりも、下痢が多い。12時過ぎに眠ったので、私もぐっすりと眠る。そのあと、2時くらいに起きたらしく、上の娘がCDをかけて、背中をさすり、4時からは下の娘が、リビングで勉強しながら、そばにいたとのこと。私は6時に起きる。昨夜より、はるかに落ち着いていた。朝食はとらずに8時30分に病院へ戻った。

12月8日<入院9日目>
病院で朝食。血圧も熱も異常なし。3分の1くらいを食べるが、途中で何度も立ち上がるが、座らせると、また食べた。食事後、少し眠り、また、意味不明のうなり声を上げ、上半身を起こして、右へ左へと倒れ混む。点滴が痛いらしく、「いたい、いたい」と繰り返した。昼食は抜きで、MRIへ。入る前に入れ歯を外そうとするが、震えがひどく、なかなか外れなかった。やっと、取れて入ったが、興奮してしまって、撮影不能とのこと。再度、夕方に薬で落ち着かせてから、撮影。これも異常なし。薬で朦朧としていたが、8時すぎに、家へ連れて帰った。
夕食時、入れ歯を入れようとするが、どうにも入れ方がわからず、娘と3人がかりで、口を開け夢中で押し込んでみた。その姿がお互いに可笑しくなって、みんなで大笑いしてしまった。すると、「おれは、おかしくないよ」と喋った。びっくりした。その後は、唸り声もあげず、静かにTVの前に座っている。家族全員で嬉しくなった。
やっと、親戚に電話をする勇気が湧いて来た。それまでは、こんな姿を誰にも見せたくないと、連絡をしなかった。驚いた親戚が、10時近くに家に来て、それぞれが父に話し掛けた。誰も分からないようだったが、不思議そうな顔で、話を聞いている。11時近くに足湯。薬を飲ませ、就寝。明け方4時頃、ドスンという音で目覚めた。父がベッドから落ちて、そばの電話線につかまっていた。そして私に「ここは、どこだい?」そんなことを言った。嬉しかった。まだ、会話は繋がらないが、たどたどしい言葉を発するようになった。7時くらいに、下の娘が起きると、「おい〜M〜学校、おくれるぞ?」と言った。病院の支度を始めると「どこいくんだい?」とか、トイレを見て「これはなんだい?」と1つ1つ聞くので説明した。すっかり遅くなって、朝食はとらず9時30分頃に病院へ。

12月9日<入院10日目>
病院で朝食。血圧も熱も異常なし。半分くらい食べた。「おい、おまえおれをよんだだろう」「何かきこえるか」と、まだ、不思議な事を言うが、前にくらべれば良くなっていた。何度も立ち上がるので、「どこいくの?」と聞くと、しばらく考えて「う〜ん、わかんない」、そんな事を繰り返した。トイレも教えるようになった。10時30分から透析。歩こうとすると、足が震えて前にでない。体重計になかなか乗れない。ガクっと膝が折れる。「わからないなぁ」と何度も呟くが、呻いたり、叫んだリはしない。透析中、下痢でパジャマを汚すが、「わかんないな」と首をかしげている。先生に報告。看護婦さんも、意識が確実に戻っていることを喜んでくれた。微熱があり、退院は、まだ無理とのこと。また夜に、ダンスをしながら、帰宅。
夕食は、おでん。良く食べて、ひとつひとつ、「これはなんだ?」と聞いたので、説明した。美味しい?と聞いてみると、「わからない」と言うので、思い出すのを待つ。
夜、また別の親戚の人が来る。さまざまな話にわかったような、わからないような相づちを打っている。帰ってから、足湯。ベッドから落ちたことを、しきりに気にするので、布団を下に引く。薬を飲んで就寝。
朝7時くらいに起きると、リビングまで、布団に乗って滑って来たとTVの前に座っていた。TVの付け方がわからなくて、色々押してみたようだった。「つかないよ」というので、つけてあげた。洗面所、歯ブラシ、一度教えると、ちゃんと思い出した。病院へ9時に戻った。

12月10日<入院11日目>
病院で朝食。看護婦さんの名前を思い出した。外の景色、透析のこと、点滴のことも、思い出した。まだ、手の震えはとまらないが、言葉は多くなった。「すみませんね」など、看護師さんに声をかけていた。身体の異常はないので、先生と相談。今は、身体の治療よりも、精神の治療を第一に考えたいと言う私の意見を取り入れてくれて、夕方の退院が決まった。
その後、1週間、自宅で  過ごすうちに、昔のことから、人の名前、ものの使い方、ほとんどの記憶が戻った。おむつもとれ、自分で立って歩けるようになった。手の震えはおさまり、最初はスプーンだったが、3日後には、箸を使って食事ができるようになった。お風呂も一人で入れるようになった。おかしくなってからの4日間の記憶はまったくない。「ずっと、工場にいたような夢を見ていた」そうだ。