先人の看護の定義

2017.05.31

看護実践者による看護の定義をまとめました。略歴と共に紹介いたします。

大關 和(おおぜき ちか)

大関和は, 1858(安政5)年4月11日, 下野国黒羽(栃木県那須郡黒羽町)の国家老, 大関弾右衛門増虎とその妻テツの次女として生まれました。明治維新の変革に際して、幼き頃から苦労し、また親同士決めた結婚もうまくいかず子供を連れて実家に戻ることとなりました。
鹿鳴館時代、英語の修得に必要性を感じ正美英学塾に通い、そこで植村牧師の影響を受けました。牧師にすすめられ桜井女学校付属看護婦養成所の第1期生となったのが看護との出会いでした。委託実習先であった帝大病院の外科婦長もその後2年勤め、更にその後、桜井の姉妹校である新潟の高田女学校に赴任しました。以後東京に戻り、東京看護婦教育所の指導教師として熱心に後輩を育て、看護婦の質の向上にも必死で挑みました。
1900(明治33)年には東京看護婦会の会頭となり、その後「大関看護婦会」を開いて、更新の育成と派出業務に専念しました。1907年, 50歳の時に大病にかかり, 病後の静養期に「実地看護法」を著わし、発刊しました。1)

看護婦の資格,『実地看護法』, 1908

一 看病は慈善の大事業でありますから,不幸なる同胞兄弟姉妹のために,献身犠牲其任に當るの覺悟を致さねばなりません。
一 看病婦は人命保護の大任を負ふものでありますから,輕卒ではいけません,溫和優美にして忍耐強く,正直でなければなりません。
一 看病婦は慈愛と忍耐とを以て患者に接し,淸潔と焇毒の二法によりて,職を全ふする者でなければなりません。
一 看病婦たるものは性質溫和にして,常に身體を淸潔になし務めて患者の安全を計り,其順序を正うし,患者のために絶へず注意して,自己の本分を盡すを以て,第一の業務といたします。
一 看病婦の職務は病人を取扱ふ事でありますれば,靜雅なる動を最良と致します。故に平素溫和なる性質を養ひ,習慣と致さねばなりません。
一 看病婦は言行ともに靜肅高尚にして,家事經濟に達し,世事に慣れたる者を適當と致します。
一 看病婦にして不品行不親切なる者ある時は,一人の看病婦の為に多くの患者を苦しめ,社會に害毒を流す恐れあれば,直に廢業致さねばなりません。
一 看病の任を負ふ者は貴賤上下の區別なく,公平に親切慈愛を以て看病すべきであります,實に人命の重き事は地球の重きが如く貴重なるものでありますから,其人命を預り靈肉共に看病する看病婦の責任の,いかに重きかを顧みて其本分を全ふせねばなりません。2)、3)

Goodrich, Annie W.

グッドリッチは、アメリカ合衆国のニュージャージー州ブランズウィック生まれ、コネチカット州のハートフォードで育ちました。4) グッドリッチが陸軍看護学校の校長であったとき, ヘンダーソンはそこで看護の基礎教育を受け, 彼女に感化されました。「私たちの病棟を見回りにくるたびに, 彼女は私たちの視野を毎日の日課的な仕事や技術よりももっと高いところへと移してくれた」と彼女は回想しています。と同時に, 「当時自分が関与していた画一的な患者ケア, および単に医師の仕事の補助的なものとされていた看護の概念に私が不満をいだき始めたのは, グッドリッチの影響によってである」と書いています。5)

A DEFINITION OF NURSING, 1946  看護の定義

看護は,身体的な病気,そのケア・治療・予防に関する医学および社会科学の成果(個人的な,環境的なあらゆる因子を含む)を,的確な指導と指揮のもので,行為をとおして実現しようとする社会的活動であり,健康な市民という望ましい目的を達成させようとするものである。

Nursing is that expression of social activities that seeks under qualified instruction and direction to interpret through action the findings of the medical and social sciences in relation to bodily ills, environmental, that bear upon the achievement of the desired objective, a healthy citizenry. 6)、7)

Peplau, Hildegard E.

ヒルデガードE.ペプロウは1909年9月1日にペンシルバニア州レディングで生まれ, 1999年3月17日にカリフォルニア州の自宅で89歳の生涯を閉じました。彼女は移民である両親の6人兄弟の次女として生まれました。
看護の経歴は, 1939年ポッツタウン病院附属看護学校に始まり、1943年バーモンド州ベニントン大学において精神看護学を専攻して学士号を取得しました。さらにコロンビア大学ティーチャーズカレッジから修士号、同大学からカリキュラムの研究によって教育学博士号を授与されました。
精神看護学の母とみなされていますが、それは精神看護学の領域を超えており、専門職, 教育学, 基礎看護学に影響を与えたことは、アルフレッド大学, デューク大学, インディアナ大学, オハイオ州立大学, ラトガーズ大学, アイルランドのウルスター大学から名誉博士号を授与されたことからもわかります。8)

INTERPERSONAL RELATIONS IN NURSING, 1952 人間関係の看護論

看護とは有意義な,治療的な,対人的プロセスである。看護は地域社会にある個々人の健康を可能にする他の人間的諸プロセスと協働して機能する。9)

A significant therapeutic interpersonal process. It functions cooperatively with other human process that make health possible for individuals in communities. http://currentnursing.com/nursing_theory/interpersonal_theory.html 2016/12/2210)11)

Abdellah, Faye G.

フェイ・グレン・アブデラは, ニューヨーク市に生まれ, 1942年, フィトキン記念病院看護学校(現在のアン・メイ看護学校)を次席で卒業した後, コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで理学博士号(B.S.), 文学修士号(M.A.), 教育学博士号(Ed.D.)を取得しました。
 彼女の自著論文および著作は150点を上回ります。1949年以降は, 合衆国公衆衛生局(USPHS)においてさまざまな職位を歴任しています。1970年には合衆国公衆衛生局の主任看護官(Chief Nurse Officer)に任命され, 以来, 17年間, その地位にありました。これと並行して, 1982年には副医務長官(Deputy Surgeon General)に選出され, 1989年の退官までこの役を務めました。看護職従事者として, また女性として, この役職についたのは, 彼女が初めてでした。
 アブデラは, 看護が専門職としての地位と自律性を十分に獲得するためには, 確固とした知識基盤が不可欠であると考えた。また彼女は, 看護は医学の支配下から脱却して, 包括的な患者中心のケアという理念を追求する必要があると考え, 同僚たちとともに21の看護問題をまとめ, 学生の教育と評価に用いました。12)

PATIENT-CENTERED APPROACHES TO NURSING, 1960 患者中心の看護

看護は芸術と科学に基礎づけられた個々の看護婦の態度,知的能力,技術的能力を,病人,健康人を問わず,人の保健問題を援助するように活かす。 このサービスは以下の内容を含んでいる。

  1. 患者の看護問題の認識。
  2. 関連のある看護原理に照らして,とるべき適切な業務の方向づけ。
  3. 個々人の全般的保健要求をたえず注意すること。
  4. 苦痛や不快を除き,各人の安全性を早く確保するため,たえず注意をすること。
  5. 総合的看護計画を,個々の患者のニードに合うように調整する。
  6. 心身の健全な状態を獲得または維持するために,各人にさらに自己統制を行わせる。
  7. 看護補助要員や家族を教育して,各人が自分でできる範囲内のことは,自分でするようにしむける。
  8. 各人に,自分の限界に従わせ,感情的問題を調節させる。
  9. 地方的,全国的,国際的水準にてらして,最高の健康を実現するよう,関連業務と協働して仕事をする。
  10. 看護技術の改善と,国民の保健上の関心に応えうる新技術の開発のために,たえず評価,探求を続けるなどである。13)

•"Nursing is based on an art and science that mold the attitudes, intellectual competencies, and technical skills of the individual nurse into the desire and ability to help people , sick or well, cope with their health needs." - Abdellah
Abdellah explained nursing as a comprehensive service, which includes:

  1. Recognizing the nursing problems of the patient
  2. Deciding the appropriate course of action to take in terms of relevant nursing principles
  3. Providing continuous care of the individuals total needs
  4. Providing continuous care to relieve pain and discomfort and provide immediate security for the individual
  5. Adjusting the total nursing care plan to meet the patient's individual needs
  6. Helping the individual to become more self-directing in attaining or maintaining a healthy state of mind & body
  7. Instructing nursing personnel and family to help the individual do for himself that which he can within his limitations
  8. Helping the individual to adjust to his limitations and emotional problems
  9. Working with allied health professions in planning for optimum health on local, state, national and international levels
  10. Carrying out continuous evaluation and research to improve nursing techniques and to develop new techniques to meet the health needs of people
    (In 1973, the item 3, - "providing continuous care of the individual's total health needs" was eliminated.)14)、15)

Johonson, Dorothy E.

ドロシーE.ジョンソンは,1919年8月21日ジョージア州のサヴァナで生まれました。1938年にサヴァナのアームストロング短期大学で準学士号を, 1942年にテネシー州ヴァンデビルド大学で学士号(B.S.N.)を, 1948年にボストンのハーヴァード大学で公衆衛生学修士(M.P.H.)の称号を得ました。
ジョンソンはチャタン・サヴァナ保健協会で看護スタッフとして、 ヴァンデビルド大学看護学部では小児看護学の講師, 助教授を務めていました。またカリフォルニア大学ロサンゼルス校で, 小児看護学の助教授, 準教授, 教授を務めていました。1955年~1956年にかけては, インド南部のクリスチャン医科大学看護学部で小児看護学アドバイザーとして, また1965年~1967年に, カリフォルニア看護師協会で, クリニカルスペシャリストの詳細に関する声明書を作成する委員会の委員長を務めました。出版物には, 4冊の単行本, 30篇以上の論文, その他多くのレポート, 学会報, モノグラフがあります。16)

THE SIGNIFICANCE OF NURSING CARE, 1961 看護ケアの意義

この論文で用いている《看護ケア―》(Nursing Care)という言葉は,上に述べたような,直接的な個々の患者へのサービスを意味している。それは医学に依存せず,疾病の回復や保健医療の知識を増すことや,あるいは,健康増進などを直接の目標としてはいないものである。《代行医療ケア―》(Delegated Medical Care)という言葉は,ここでは,医師が医療ケアーの計画を発展させたり,実行に移したりする際にそれを補助する看護婦の行為をさしている。《保健ケアー》(Health Care)は,健康増進や健康維持をその目的としているサービスである。患者に対するこの3つの看護サービス,つまり看護ケア―,代行医療ケアー,保健ケアーは,看護業務の3大要素と考えられている。17)

The term, nursing care, is used in this paper to signify that kind of service, a service which is not dependent upon medical authority and which does not have as its immediate goal recovery from illness, increased health knowledge, or more desirable health practices. The phrase, delegated medical care, is used here to refer to the care given by the nurse which assists the physician in the development or implementation of medical care plans. The term, health care, refers to that service which has as its purpose the promotion and maintenance of desirable health practices. These three types of nursing services to patients-nursing care, delegated medical care, and health care- are considered to be the three major components of nursing practice.18)、19)

吉田 時子

出身は富山県. 昭和18年9月,聖路加女子専門学校卒業. 東京大空襲の時は, 聖路加病院の屋上で焼夷弾の雨を目撃し, 多数の負傷者の看護にあたりました。 戦後, 聖路加と日赤が合体した模範看護学院の時代を経て引き続き母校に勤務. この間, 昭和30年から1年間ウェイン大学に留学, 35年から7年間弘前大学医学部付属看護学校教務主任, 再び聖路加看護大学教授を経て45年から弘前大学教育学部教授となりました. 看護の基礎教育一筋に歩む中で, 一貫して白紙の看護学生に看護を説き,正しい看護技術の指導をしてきました. その技術指導の完璧さには定評があり, 「吉田先生の指導を受けた」というだけで高く評価されるといわれるほどでした. 看護界の指導者の中には, 先生の教え子が数多いです. 卒業後20年, 30年経ってなお教え子に慕われることは, きびしい指導の中にもなお愛情深く誠実な先生のお人柄のゆえでありましょう. その後昭和52年7月, 厚生省の看護研修研究センターの初代所長に就任され, 教師の教育という新しい仕事を手掛けられることになりました20).

看護とは,看護の要素,『基礎看護』, 1961

看護とは,健康の保持増進をはかり,疾病を回復へと助け導き,また回復の不可能と思われる場合は,苦痛,苦悩を除去し,安楽にすることである。さらに説明を加えるならば,健康な人に対しては,疾病に侵されないように護り,ますます体力を加え,平行のとれた精神状態が保たれるように指導し,病人に対しては,十分な看護処置を行って疾病を治癒へと向かわしめ,更に回復後は,一日も早く日常の生活にたち帰らせるように指導することであり,回復の見込みのない場合でも,病人を安楽にするためにあらゆる努力と工夫とを払うことである。そしてこれらのことを心から喜んで,奉仕の精神を行うということであろう。21)

Wiedenbach, Ernestine

アーネスチン・ウィーデンバックは, 幼少の頃,家族とともにドイツから移住しました。看護への関心は, 幼少期の暮らしの中からわき, 看護師の役割に魅せられてウェルズリー大学を卒業後(教育学科の学士号取得), ジョンズ・ホプキンズ病院の看護学校に入学しました。ジョンズ・ホプキンズでの勉学を修了したのち, ニューヨークのいくつかの病院や公衆衛生看護の機関でさまざまな地位に就きました。さらに彼女は勉学を続け, コロンビア大学教育学部の夜間講座にも通い, 修士号と公衆衛生看護師の免許を取得しました。この間, ニューヨーク・マタニティ・センター協会長の勧めでその協会の看護師-助産師学校に入学し, その課程を修了したのち助産師としてマタニティ・センター協会の自宅分娩サービスに従事しました。
こうした実践に加えて, さらにウィーデンバックは学術的な経歴を重ね, コロンビア大学教育学部の夜間コースで上級の母性看護学を教えたり,専門誌に論文を発表したりしました。その後ニューヨークからコネティカットに移り, エール大学看護学部の教員になった。1956年には, 大学院の周産期保健看護プログラム責任者になり, 1958年には臨床看護教科書の《家族中心の母性看護》(Family-Centered Maternity Nursing)を著しました。膨大な実践経験と教育のなかから, 彼女の理論モデルは開発されたのであります。22)

CLINICAL NURSING-A HEALPING ART, 1964 臨床看護の本質-患者援助の技術

もっと簡潔にいえば,臨床看護の目的は,その個人が《援助を要するニード》として体験しているニードを満たすことにある。これは,看護婦・患者関係における"即時性"を示唆するものである。23)
・・・看護婦の実務は次に示す3つのあきらかな構成要素からなっている。(1)すなわち個人の《援助を要するニード》の《明確化》,(2)必要とされる援助の《実施》,(3)行われた援助によってその人の機能的な能力が回復もしくは拡大されたことの《確認》,の3つである。24)

More succinctly, the purpose may be expressed as: to meet the need the individual is experiencing as a need-for-help. This suggests immediacy in the nurse-patient relationship.25)
・・・her practice which comprises three distinct components:1)identification of the individual's need-for-help; 2)ministration of help needed; and 3)validation that help provided has restored or extended the individual's functional ability.26)、27)

<参考まで>

Nursing -
a helping art with knowledge and theories. A goal-directed and deliberate blending of thoughts, feelings, perceptions and actions to understand the patient and his condition, situation and needs, to enhance his capability, improve his care, prevent recurrence of problem and real with anxiety, disability or distress (Wieden-bach, 1964)28)

アーネスティン・ウィーデンバック(Wiedenbach, E.)の理論で重要な概念は, 援助へのニード(need for help)である. 患者は援助へのニードをもつ個人であり, 看護はこの援助へのニードを見極め, それを満たすことであると定義している.  ウィーデンバックは, 看護師のもつ哲学, 看護の目的と, それによって方向付けられる実践と技術を臨床看護の四つの構成要素として説明している. この中で最も重要なのは「人間存在の尊厳・価値・自立心および個性の尊重」としている.  哲学は, 援助へのニードを満たすという看護の目的とともに, 専門職としての行為に一貫性を与える. これによって導かれる実践には, 知識, 判断, 技術が必要とされる. これらは, 実践の構成要素とされるニードの明確化, 実施, 満たされたかの確認, 関連するさまざまな調整の中で, 用いられる. この構成要素は, それ自体援助の過程(プロセス)をも示している.  熟慮された行為のために, 三つの援助の原理, 一致・不一致, 目的にかなった忍耐, 自己拡張を用いる.  ウィーデンバックは, 看護師が必要な助けを得られるのは, 同僚や医師, 患者の家族などからであるが, しばしば患者自身からも助けを得るという. 看護師の知覚には, 知識, 経験, 価値観などによる解釈がすでに入っている. 看護師が行おうとするケアに患者にも参加してもらい, ともに行うことが重要なのである.29)

Travelbee, Joyce

ジョイス・トラベルビーは, 精神科看護の専門家であり, 教育者であり, 著述家でありました。彼女は1926年に生まれ, 1946年にニューオリンズにあるチャリティ病院の看護学校で看護基礎教育を修了しました。1956年にルイジアナ州立大学から看護学士号を, 1959年にエール大学から修士号を得ています。1973年の夏, フロリダで博士課程の勉強を始めましたが, その年の暮れ死去し, 学業を成就することができませんでした。 彼女は長く患うことなく47歳で亡くなりました。 遺族はいませんでした。 1952年, ニューオリンズにあるディポール病院附属学校で精神科看護を教えたのが, トラベルビーの教育者としての始まりでありました。 教育者として働きながら, 学士号を取る勉強もしていました。 彼女はまたチャリティ病院看護学校, ルイジアナ州立大学, ニューヨーク市にあるニューヨーク大学, ジャクソンにあるミシシッピ大学でも精神看護を教えていました。1970年, 彼女はニューオリンズにあるホテルデュー看護学校でプロジェクト・ディレクターに任命されました。 亡くなった時点では, ルイジアナ州立大学看護学校の卒後教育の指導者でありました。30)

INTERPERSONAL ASPECTS OF NURSING, 1971  人間対人間の看護

看護の定義
看護とは,対人関係のプロセスであり,それによって専門実務看護婦は,病気や苦難の体験を予防したりあるいはそれに立ち向かうように,そして必要なときにはいつでも,それらの体験のなかに意味をみつけだすように,個人や家族,あるいは地域社会を援助するのである。31)

Nursing: Its Definition
Nursing is an interpersonal process whereby the professional nurse practitioner assists an individual, family, or community to prevent or cope with the experience of illness and suffering and, if necessary, to find meaning in these experiences.32)、33)

Orem, Dorothea E.

アメリカの著名な看護理論家の1人であるドロセア・エリザベス・オレムは, メリーランド州ボルチモアで生まれました。 ワシントンD.C.のプロヴィデンス病院付属看護学校で看護を学び, そこで1930年代初頭に看護師資格を得ました。 さらに教育を受け, 1939年にアメリカカトリック大学から看護学士号を, 1946年には同大学から看護教育における修士号を取得しました。
1957年にオレムは, ワシントンD.C.に移り, 合衆国保健教育福祉省の教育部局で, 1958~1960年までの間, カリキュラムのコンサルタントとして従事しました。 1959年に, オレムはアメリカカトリック大学の看護教育助教授となりました。大学では彼女は, 看護とセルフケアに関するが記念を開発し続けました。 1976年, ジョージタウン大学は, オレムに理学博士の名誉学位を授与しました。 その後, 数々の名誉賞を与えられ, 1988年には, ミズリー大学から名誉をたたえ看護博士号が授与されました。34)

NURSING: CONCEPTS OF PRACTICE, 1971  オレム看護論

・・・看護は, "生命および健康を確保するために, 疾病や傷害から回復するために, またそれらの影響に対処するために, セルフケア行動が必要であるということとそれを持続的に提供し, 管理するということ"に特別に関心を払っている。セルフケアは, 男, 女, 児童にかかわらずあらゆる人に必要な事柄である。セルフケアが維持されない場合には, 疾病あるいは死が生ずる。看護婦は, 時には, まったく能力を失った人々のために必要なセルフケアを継続的に実施し維持する。他の場合には, 看護婦は, すべてのケア方法ではなくその一部を遂行することにより, あるいは患者を介護する人々を監督することにより, また徐々にセルフケアに向かう個人に指示を与え指導することにより, 人々が必要なセルフケアを維持できるよう助力する。35)

....Nursing has as its special concern man's need for self-care action and the provision and management of it on a continuous basis in order to sustain life and health, recover from disease or injury, and cope with their effects. Self-care is a requirement of every person― man, woman, and child. When self-care is not maintained, illness, disease, or death will occur. Nurses sometimes manage and maintain required self-care continually for persons who are totally incapacitated. In other instances, nurses help persons to maintain required self-care by performing some but not all care measures, by supervising others who assist patients, and by instructing and guiding individuals as they gradually move toward self-care. 36)、37)

ドロセア・E・オレム(Orem, D.E.)は1950年代から看護の理論化に着手し, セルフケアを中心とする理論を発表した.

 セルフケアとは,成熟しつつある人々および成熟した人が, 自分自身の生命と健康的な機能, 持続的な個人的成長, および安寧を維持するために開始し, 遂行する諸活動の実践.
 セルフケアは「学習された目標指向的活動である」とも述べている.
 このセルフケアを遂行する能力がセルフケア・エージェンシーであり, これには自分に必要なセルフケアを考え, 決定し, それを実行するための多様な能力が含まれる.  このセルフケアには大きく三つのタイプ, すなわち

  • ①すべての人に必要な普遍的セルフケア要件
  • ②発達段階や課題に関連した発達的セルフケア要件
  • ③病気やけが, 障害をもったときなどに必要となる健康逸脱によるセルフケア要件がある.

患者のセルフケア不足の状況によって, 全代償, 一部代償, 支持・教育システムといった看護システムが適用される.

  • ❶全代償システム;意識のない患者や手術当日などのような行動上の制限が大きな患 者に用いられ, ほぼすべてのセルフケアは代行する看護師の責任となる.
  • ❷一部代償システム;看護師が部分的にセルフケアを代行することで, 安静が必要な患者の清潔への援助や手術後最初の歩行を安全に留意しながら手助けをする場合などがその例として挙げられる.
  • ❸支持・教育システム;学習を必要とする診断後間もない糖尿病患者に食事や運動の指導をしたり, 定期的な外来通院をサポートしたりすることなどが含まれる.

   オレムはこれらの看護システムで用いられる援助の方法として, 代行, 指導と方向付け, サポート, 治療的環境の提供, 教育などを挙げている. このような援助によって患者のセルフケア能力は補完・強化されることになる.

オレムは看護の四つの観点として,

  • (1)看護師によって提供されるケアである.
  • (2)看護を構成する諸要素と看護の法則もしくは規範についての知識である.
  • (3)特別な技であり看護師の資質である.
  • (4)専門職業である.

と述べている. 患者のセルフケアの能力や必要性のアセスメント, そしてセルフケアを促進する際に, 最も必要になるのは創造性の発揮ともいえるかもしれない.38)

King, Imogene M.

アイモジン・キングは, 1945年, ミズリー州セントルイスのセントジョン病院附属看護学校を卒業し, 看護師免許を取得しました。 その後, 看護師として多様な職種に従事しながら, 学士号取得のための学習を始め, 1948年, セントルイス大学を卒業し, 学士号を取得しました。 1947年から11年間, セントジョン病院附属看護学校に在職し, 内科系・外科系看護の教員, 副校長の任を果たしました。 この間, セントルイス大学大学院に在学し, 1957年, 看護学修士号を取得, その後, ニューヨーク州のコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ大学院に進学し,1961年, 教育学博士号を取得しました。また1980年には, 南イリノイ大学より名誉博士号を授与されています。その後, 数々の名誉ある職に就任し, 1996年には, アメリカ看護師協会総会において Jessie M. Scott賞を受賞しました。39)

A THEORY FOR NURSING ; SYSTEMS, CONCEPTS, PROCESS  キング看護理論

看護とは何か
看護とは, 看護状況の中で出会う人々の行動について, それらを知覚し考察を加え, 関係を深め, 判断を下し, そして行為することである。 ここでいう看護状況とは, 空間的・時間的現実としての直接的な環境を指しており, その環境において, 看護婦と看護を受ける人とは健康状態に対処するための相互関係を確立し, またその状況が調節を必要としているならば, 日常生活の営みの変化に調整を加える。看護は, 看護婦と看護を受ける人が, その看護状況において両者が知覚した情報をわかち合う, 行為・対応行為・相互行為といった一連の過程であると定義できる。 目的のあるコミュニケーションを通じて, 両者は特定の目標・課題・関心が何であるかをはっきりと知るようになる。 そして目標に到達するための手段を探求し, その手段についての合意をはかる。 看護を受ける人が専門職者と共に目標設定に参加する時, ほとんどの看護状況で彼等は, 看護婦との相互行為によって目標達成をめざして行動する。 このような看護概念のいろいろの特性を, 目標達成をめざす人間の相互行為の一連の過程ととらえることは, すでに明らかになっている(Peplau, 1952; Orlando, 1961; Nightingale, 1859; Rogers, 1970; King, 1971; Levine, 1975)。40)

What is Nursing ?
Nursing is perceiving, thinking, relating, judging, and acting vis-à-vis the behavior of individuals who come to a nursing situation. A nursing situation is the immediate environment, spatial and temporal reality, in which nurse and client establish a relationship to cope with health states and adjust to changes in activities of daily living if the situation demands adjustment. Nursing is defined as a process of action, reaction , and interaction whereby nurse and client share information about their perceptions in the nursing situation. Through purposeful communication they identify specific goals, problems, or concerns. They explore means to achieve a goal and agree to means to the goal. When clients participate in goal setting with professionals, they interact with nurses to move toward goal attainment in most situations. Several characteristics of this concept of nursing as a process of human interactions leading to goal attainment have been identified (Peplau, 1952; Orland, 1961; Nightingale, 1859; Rogers, 1970; King, 1971; Levine; 1975).41)

ジーン・ワトソン

マーガレット・ジーン・ハーマン・ワトソンは, ウェストヴァージニアの南部で生まれ, 1940~1950年代アパラチア山地にある小さな町で8人兄弟の末っ子として成長しました。 高校卒業後, レヴィス・ゲール学校の看護学部に進学, 1961年卒業後に結婚し, 夫の出身地であるコロラド州西部に移住しました。 夫は1998年に他界しましたが, 2人の娘, 孫5人がおり, 現在もコロラドのボールダーに住み続けています。 ワトソンは, コロラドに移住後, コロラド大学で継続して看護教育を受け卒業しました。 1964年にボールダーキャンパスで看護学士号を, 1966年にヘルスサイエンスキャンパスで精神科-精神保健の修士号を, 1973年にボールダーキャンパスで教育心理学とカウンセリングの領域の博士号を取得しました。 ワトソンはコロラド大学の看護教員として迎えられ, 教育者としてのみならず管理者としても高い能力を発揮しました。 数々の職務を歴任,現在もコロラド大学看護学部ケアリング・サイエンスの教授であり, すぐれた業績を認められ終身の身分を賦与されました。 ワトソンは様々な教育コースの開講, カリキュラムの開発, 発展, さらに, ヒューマンケアリングに関する地域社会の多数の学術的な活動やプロジェクトをも発展させたり, スポンサーとなってきました。また, アメリカ合衆国でも有名な大学の名誉客員教授として, さらにカナダ, イギリス, フィンランドなど多くの海外で学術会議の講演を行いました。42)

看護は健康増進と健康への回復、および病気の予防にかかわっていると述べている。単に、病気がないというだけの状態を意味するのではない健康は、主観的な概念であるだけに、誤って解釈されやすい概念である。健康は、「心と体と魂における統一と調和」と解釈され、また「自分自身がとらえる自己と実際に経験している自己との間の一致度」ともとらえられている。43)

看護は、古い知識や新しい知識をつねに発展し続ける人間の可能性のなかにつなぎ、構築、再構築し、新しい時代の看護を形成すべく挑戦を続けていかなければならない。44)

 ワトソンは, ヒューマンケアリングを「看護の道徳的な次元での理念」と定義する. つまりケアリングとは, 人と人との深い関わりの中で表現される愛, 思いやり, 慈悲などの人間らしさである. ワトソンは, 看護はケアリングを通じて人間性を育むことで, 人類と社会に貢献できると述べる.45)

ヒューマンケアリングは, 人と人との間においてのみ, 最も効果的に示され, 実践される. 間主観的に人と人とが関わるプロセスによって, 人間らしさという誰もがもっている感覚が生かされる. つまり, 相手に自分を重ね合わせ, 相手に自分の人間性を映し出すことによって人間らしさというのはどのようなことであるかを会得できる.

ワトソンは, 看護においては, ケアをする人とされる人が, 深く関わりつながるとき, 本来の人間らしさが表現され, 新たな可能性を見いだしていく貴重な瞬間があるとし, その瞬間は看護にとってのみならず, 人類にとって重要と考えた. この, 人と人との深い関わり, つながりをトランスパーソナルなケアリングと名付けた.46)

パトリシア・ベナー

パトリシア・ベナーは, ヴァージニア州ハンプトンで生まれ, カリフォルニア州で育ちました。パサデナ大学において看護学を専攻し, 1964年に文学士号を取得しました。 1970年には, カリフォルニア大学サンフランシスコ校の看護学部で内科・外科看護を専攻し, 修士号を取得しました。 その後, カリフォルニア大学バークレイ校でリチャード・ラザラスの研究助手を務めるかたわら, ストレスとコーピングを専攻し1982年に博士号を取得しました。

ベナーは, 急性期の看護ケア, 集中治療, 訪問看護など幅広い臨床経験をもっています。スタッフナースおよび主任看護師も務めました。研究経験も深いですが, それは1970年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校の看護学部で卒後看護研究者として出発したときからです。 1982年, カリフォルニア大学サンフランシスコ校看護学部の生理学的看護学科の準教授となり, 1989年には教授になって現在に至っています。47)

看護は、ケアリング関係であり、「つながりやかかわりを可能にする条件である。」と述べられている。「ケアリングは、援助を与えたり、援助を受け取ったりすることの可能性を設定するのであるから、第一義的なものである。」「看護は、ケアリングの実践であり、その科学は道徳的な技と倫理、および責任感によって導かれる。」48)

ベナーは, ケアリングとは気遣いである, すなわち「人が何らかの出来事や他者, 計画, ものごとを大事に思うこと」と定義している. ベナーによれば, 患者に寄り添うことは, 患者と運命を共にしていることが相手にわかるように居合わせることであり, 看護の基本である. ベナーは「看護は"人を気遣い世話する実践(caring practice)"の一つであり, そこで用いられる科学は, 人を気遣い責任を引き受けるという道徳的技能(moral art)と, その倫理とによって, 統制される 」と述べている.49)

マーサE.ロジャーズ

マーサE.ロジャーズは, 1914年テキサス州ダラスで4人の子供の長女として誕生しました。 誕生から間もなく, 家族はテネシー州ノックスヴィルの地に戻りました。高等教育は, このテネシー大学で始まり, 1931年~1933年の間そこで科学について学びました。 1936年, ノックスヴィル総合病院看護学校で卒業証書を受け, その直後の1937年にはテネシー州ナッシュヴィルにあるジョージ・ビバディ大学で学士号を取得しました。 その他, 1945年にはニューヨーク州コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの公衆衛生看護管理研究科で修士号を取得しており, またボルティモア州のジョンズ・ホプキンズ大学で公衆衛生看護学の修士号を1952年に, 理学博士号を1954年に取得しました。 ロジャーズの初期における看護の職務は, ミシガン州における地域公衆衛生看護と, コネチカット州における訪問看護の指導・教育・実践でありました。 その後, アリゾナ州フェニックスの訪問看護サービスを開設しました。 1954年~1975年までの21年間, ニューヨーク大学で教授兼看護学部長の任にありました。 1975年以降は教授として, 1979年以降は名誉教授の地位にあり, 1994年3月13日に79歳の生涯を閉じるまでこの職位を保ちました。50)

人々へのケアと人間の生命過程のために存在する。

看護は学問的専門職業であり、科学であると同時にアートである。看護は経験に基づく科学であり、他の科学の場合と同じように、看護の独自性はその関心の中心をなす現象にある。51)

ロジャースはロイとは異なり, 下位システムを認めていない. 1970年の最初の著作以降も修正を続け, 「ユニタリ・ヒューマンビーイングスの科学」の名で知られるロジャースの理論は「部分に還元不能な全体的存在としての人間」観を明確に打ち出したことで, その難解さにもかかわらず影響力を発揮し続けている.52)

シスター・カリスタ・ロイ

シスター・カリスタ・ロイは, 聖ヨセフ・カロンデレのシスターです。 1939年10月14日カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。 看護の専門教育としては, 1963年にロサンゼルスにあるマウント聖メリーズ大学から看護で文学士を, 1966年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校から看護の科学修士を取得しました。 続いて社会学を学び, 1973年に文学修士を, 1977年には哲学博士をUCLAから受けています。
ロイは, 自らの看護適応理論を巡って多くの著書や共著書, 定期刊行物の論文を著し, 頻回に講義やワークショップを行っています。またシグマ・シータ・タウの一員であり, 1981年には看護の専門的標準の向上に努め, 卓越した業績に対して国家創立者賞を受賞しました。 さらに, 1984年にはアルベルノ大学人文学名誉博士, 1985年には東部ミシガン大学名誉博士となり, そして, 《ロイ適応看護論入門》が1986年のAJNの年間最優秀図書に選ばれています。その後も数々の賞を受賞しています。53)

「人間の生命・生活過程と生命・生活過程パターンに焦点を当てて、個人や家族、集団、そして体としての社会の健康増進を重視するヘルスケア専門職。」54)

 ロイ(Roy, C.)の適応理論も実践や研究に広く活用されている. ロイは人間を適応システムとしてとらえる. 人間の適応システムは絶えず環境と自分自身の双方からくる刺激にさらされており, それらの刺激を下位システムである調節器・認知記が共同して制御する. その制御過程の活動状態を, 効果器(適応様式)のサブシステム, すなわち四つの適応様式である, ①生理的機能, ②自己概念, ③役割機能, ④相互依存において表示する, としている.55)/p>

  • 生理的機能様式;酸素化, 栄養, 排泄, 活動と休息, 安全の確保という基本的ニード, 感覚や水分と電解質, 神経・内分泌などの機能が重要とされる.
  • 自己概念様式;身体感覚と身体像からなる身体的自己, 自己一貫性, 自己理想, 道徳的・倫理的・霊的自己からなる人格的自己で構成される. 自己概念とは「ある時点での自分自身について抱く感情や信念」の複合である.
  • < li>役割機能様式;社会の中で占めるその人の役割であり, 一次的・二次的・三次的役割と, それぞれについて道具的行動と表出的行動がある.
  • 相互依存様式;「愛情や尊敬, 価値観を人に与えたり, また人から受け取ったりする相互作用に関するものである」. 重要他者やサポートシステムと, これらの関係について受容行動と寄与行動がある.

適応モデルの看護過程への適用

  • 行動のアセスメント
  • 刺激のアセスメント
  • 看護診断
  • 目標の設定
  • 介入(ケアの選択と実施)
  • 評価56)
  •  

キャサリン・コルカバ

キャサリン・コルカバはオハイオ州クリーブランドに生まれ, そこで人生の大半を過ごしました。 1965年にクリーブランドの聖ルカ病院附属看護学校を卒業しました。 内科-外科看護, 長期ケア, ならびに在宅ケア分野で長い間非常勤として勤務したのち, 学校に戻りました。 1987年に, ケース・ウエスタン・リザーブ大学のフランシス・ペイン・ボルトン看護学部の看護学修士クラスを最初の登録看護師として卒業しました。 大学に通いながら, 同時に痴呆病棟の主任看護師を務め, コンフォートのアウトカムについての理論化に着手しました。

看護学修士課程を卒業後, コルカバはアクロン大学看護学部の教員となりました。それ以降, 老年学に関して, アメリカ看護師協会の認定看護師を続けています。 彼女は, 大学での専任教員を務めながら, 同時に看護学の博士号取得のためCWRU(ケース・ウエスタン・リザーブ大学)に戻りました。 その後10年間にわたり, 博士課程での研究を通じて, 彼女の理論の構築と展開を行いました。同僚研究者や学生との個人的交流やウェブサイトでの交流を通じて, 彼女の理論は引き続き進化を続けています。 コルカバは, 1997年に看護学で博士号を取得し, 同時に名誉Clinical Nurse Specialistの称号を受けています。 現在, コルカバはアクロン大学看護学部の看護学準教授であり, 看護理論と看護研究について教えていいます。57)

コンフォートニードについての意図的なアセスメント、これらのニードに対するコンフォートを与える手段の計画、ならびに実施したあとの、実施前と比較したコンフォートレベルの再アセスメントである。58)

マドレンM.レイニンガー

マドレンM・レイニンガーは, 文化を超えた看護の創始者であり, 文化を超えた看護と人間ケア理論のリーダーです。 看護学大学院を修了して文化および社会人類学の学術博士号を取得した最初の看護師です。ネブラスカ州サットンで生まれ, 聖アンソニー看護学校を卒業して看護の道に入りました。 看護学士過程で学ぶかたわら, 士官学校の看護師を勤めました。 1950年にカンザス州アチソンのベネディクト大学から生物科学の学士号を取得しましたが, 副専攻として哲学と人文科学を修めました。 卒業後はオマハの聖ヨゼフ病院で内科-外科病棟のインストラクター, スタッフナース, ヘッドナースを勤めました。 また看護部長として新しい精神科病棟を開設しました。 この頃, オマハのクレイトン大学の, 大学院で看護管理, 看護カリキュラム, 教授法, 教育測定を修得しています。
1954年にワシントンD.Cのアメリカ・カトリック大学から精神看護学の修士号を取得しました。 その後レイニンガーはシアトル市のワシントン大学の博士課程において, 文化および社会人類学, 心理的人類学に焦点を当て, 彼女の興味を探求することを決意しました。 いくつかの文化を超えた看護のコースを教え, 文化を超えた看護の特殊な博士課程の最初の看護師たちを指導しました。 レイニンガーが自ら著した, あるいは編集した書物は27冊を超えています。 レイニンガーはこれまでの職業上および学術上の功績に対し, 多くの賞や名誉を受けています。また, 国内外の85大学で特別客員研究者や講師を務め, スウェーデン, ウェールズ, 日本, 中国, オーストラリアなどの6大学で客員教授もしていました。1996年, マドンナ大学はレイニンガーの書籍コレクションを収蔵し, 特別にレイニンガー閲覧室を設けて, 看護, 社会科学, 人文科学に対するレイニンガーの卓越した貢献をたたえました。59)

人道主義的、科学的な職業または学問で、人間ケア現象や行動に焦点を当て、その文化において意義があり有益である思われる様式で、個人または集団が良好な状態(または健康)を取り戻し維持できるように、援助し、支持し、力を育成し発揮させることをいう。60)

引用・参考文献

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  • 林滋子編集. 看護の定義と概念 単行本. 第2版. 日本看護協会出版会, 1989, p. 2.
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